寂しさの力

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私は大学生のころから一人暮らしをしているが、その中でさみしい思いをしたことは何度もある。今もなお「さみしい」と思ったことは少なからずあるのだが、その「さみしさ」は普通の人でも歴史上の偉人でもそういった感情は存在するといい、さらにさみしさにはほかにはない「力」が存在するという。そのさみしさはどのような力が存在するのか、そしてさみしさの哲学とはいったい何なのか、本書はそのことについて取り上げている。

第一章「悲しさは一瞬、さみしさは永遠」
「さみしい(さびしい)」とは辞書で調べると、

「1.あるはずのもの,あってほしいものが欠けていて,満たされない気持ちだ。物足りない。
 2.人恋しく物悲しい。孤独で心細い。
 3.人けがなくひっそりしている。心細いほど静かだ」「大辞林 第三版」より)

とある。ちなみに私がさみしいと感じるときはと言うと最初に書いた通りしょっちゅうである。もちろんそれがネガティブな感情を催すこともあるのだが、そもそも生きている中でつきものになってきているので、特に何とも思わない。
私事が長くなってしまったが、本章では著者自身の人生においてどのような「さみしさ」があったのかそのことを綴っている。ある意味「波乱万丈」と言える人生である。

第二章「さみしさの偉人たち」
歴史上の偉人たちも「さみしさ」と戦い、つきあい続けていた。その代表格として本章では坂本龍馬やウォルト・ディズニーなどを取り上げている。

第三章「芸能界は、さみしさの王国」
芸能人には「さみしさ」の王国であるという。最近のことでいえば今月初めには元プロ野球選手の清原和博容疑者が覚せい剤所持で逮捕された。そののちに常習的に使用していたことが明らかになったというが、その理由も「さみしさ」があったという話を聞いたことがある。清原に限らず様々な芸能人が大麻所持や覚せい剤所持の事件があり、逮捕された人も少なくない。これもすべては「さみしさ」を紛らわすために使ったり、所持をしたりするケースが多いという。本章では酒井法子の事件と過去とともに芸能界にある「さみしさ」をあぶりだしている。

第四章「さみしさの哲学」
さみしさとはどのような哲学を持っているのか。本章では「孤独」とともにモンテーニュやルソー、ホッファーなどの哲学者の孤独とともに取り上げている。

さみしさは自分自身の中で常に存在する。しかしそのさみしさは紛らわせようとしても決して紛らわしきることはできない。そこで「さみしさ」の正体を理解して、それを力にしていくにはどうしたらよいか、それを考えていく必要がある。欠点が武器になるように、さみしさだって力になり、武器になることができる。

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