音に出会った日

「あなたは想像できるだろうか。
 夜明けを告げる小鳥のさえずりを、
 ラジオから流れる音楽を、
 愛する人たちのおしゃべりや笑い声を、
 生まれてから一度も聞いたことがない人生を。
 
 あなたは想像できるだろうか。
 目の前で動く唇が、ほほ笑んで見つめる顔が、
 唇の動きから読み取ってきた言葉が、
 徐々に消えていく瞬間を……」(本書表紙袖より)

前者は著者が先天的に全聾(ろう:耳が聞こえないこと)になったこと、そして後者は著者が30代にさしかかった時にアッシャー症候群と呼ばれる難病にかかり、光を失いそうになった時を表している。本当にそうなってしまった場合、いわゆる盲聾者(もうろうしゃ)になってしまい、盲者や聾者よりもずっと重いハンディを背負ってしまう。しかしそういった有名な方はいないわけではなく、ヘレン・ケラーがその最たる人物として挙げられる。

さて本書の話に移る。本書は生まれながら全聾となった著者が、差別・いじめなどの苦難に遭いながら、成長して行くも30歳間際の時に難病で視力を失いそうになってしまうと言うようなことに遭遇してもあきらめず、前を進み続け、そして人工内耳手術を経て、光と音を取り戻した女性の物語である。

著者は1974年生まれであるため、現在は41~42歳であるのだが、それまでの人生はまさに私でも想像をできないほどのハンディと苦難を背負い続けたと言える。その中で失った物も数多くあるのだが、その中にも光があり、その光をつかみ続けた姿、そして人工内耳でもって、奇跡を得ることができた姿は、YouTubeを通じて世界中の方々に見守られ、感動を呼んだ。

「ルイーズの声は、想像の中のロボットの声だ。キーキーと甲高く、電気的だ。これが人間の声なの?
 わたしがうなずくと、ルイーズはしゃべりはじめた。「月曜……火曜……水曜……」
 言葉を理解しようとするが、なにしろ多すぎる。ソーダ水のように興奮と感情が身体から溢れ出す。手は震え涙が顔を伝った。泣くまいとしても涙は止めどなく溢れ、膝にポタポタ落ちた。
 これがそうなのだ。わたしは聞いている。これが音だ。
 彼女はつづけた。「木曜……金曜……土曜……日曜……」
 言葉では知っているけれど、耳で聞くのははじめてだった。なんでもない言葉なのに、これほど美しいものはないと思った。」(pp.221-222より)

上記の一文がその上の動画の中身そのものである。もしも自分自身耳が全く聞こえず、人工内耳の手術を経た時、もしかしたら同じようになるのかも知れない。しかし、生まれながらにして耳が聞こえず、音とは何なのか分からなかった著者だからでこそ、「聞こえる」ことのありがたみと感動を覚えたのかも知れない。

人工内耳で耳が聞こえるようになった、その奇跡を多くの人々が出会い、共感を呼んだことから「盲者や聾者たちの“メンター”」として現在はイギリス中を飛び回って活動をしているという。

この世に「奇跡」と言う言葉があるとするならば、おそらく著者もそれに出会った一人かも知れない。もう二度と聞こえない、見えないと言うような苦しみを味わい、それが当たり前になっても諦めない。必ず治せる手段があると信じて、人工内耳を見つけ手術を決断したのかもしれない。そのことを考えると本書のメッセージは「どんなことでも諦めない」と言うことと言える。しかしビジネス書にあるような薄っぺらい「諦めない」と言うわけではなく、差別やいじめ、そして強烈なハンディを受けて、全てを諦めたり、自殺したりしそうな状況に追い込まれていても、必ずその状況を打破するという「諦めない」という悲壮感がありながらも強い思いをもって言っている。