「徳」の教育論

戦前の日本の教育には「修身」の授業があった。日本人とは何か、礼儀作法とは何かといった日本人として生きていくうえで大切なことを学ぶものだったが、大東亜戦争後は「道徳」という科目に取って代わった。その道徳は人間としての在り方、モラルの在り方を学ぶような科目の印象だが、そもそも道徳の本質とは何か、具体的に何を教えていくのか、不明点が多かったと言える。そのような中で道徳はどうあるべきなのか教育論の観点から考察を行っている。

第1章「学力と徳性はどのような関係にあるか」
学校における「道徳」は授業科目の一つであるのだが、その科目はテストによって測られるかというとなかなか難しい。そもそも道徳教育は学校だけの教育かというと決してそうではなく、家庭や地域も巻き込む必要があるのだが、今日ではそういった傾向が薄くなってきている。その現状を取り上げているのが本章である。

第2章「道徳はどこまで教えられるか」
道徳の科目は私自身も受けたことはあるのだが、受けたのは遠い昔であるため、どのような内容なのかは忘れてしまったのだが、人生で、そして人間として大切なことを学ぶような部分もあったのだが、そもそも道徳の授業は何のためにあるのか、そのことについて考えているのが本章である。

第3章「今の道徳教育に欠けているもの」
その道徳教育は欠けているというが、その欠けている要素はいったい何なのか、そこには「理性」や「愛」が存在するという。

第4章「自分を大切にするとはどういうことか」
「自分を大切にする」ということは聞いたことがあるのだが、その本質とはいったいどこにあるのか、本章ではその自尊心や相互扶助、自愛、献身といったところからどのように自分を大切にした方が良いかを説いている。

第5章「公共道徳を育てるのは誰か」
「道徳」の授業で教えているのは、いわゆる「公共道徳」なるものである。それはいったいどのようなものなのか、そしてそれをどのように、誰が育てるのか、そのことについて取り上げている。

第6章「道徳教育を行う体制が弱すぎる(構造の問題は解決すべき)」
本章のタイトルにある指摘はいったいどこから来ているのか、その逆にあたる「強い体制」にするためにはどうしたら良いか、その一要素として教員への道徳教育があるという。その教員に対してどのように教育を行い、そして指導していくべきか、それについて説いている。

第7章「学校は万能ではない」
学校は人間教育として完璧にできるのかというと、なかなかそうはいかない。もっとも教員も人間であり、人間を教育するのも人間である。人間は完ぺきではないのだから、教育も完ぺきではないし、万能でもない。そのことを認識しない、認識しようとしない人もおり、そのことで教育に関するトラブルはつきものである。その学校という教育機関と、それ以外に補填する機会はどこにあるのか、そこについて考察を行っている。

第8章「公民科「倫理」はなぜ面白くないのか」
「倫理」は高校の授業にて学んだのだが、大学受験としての一科目として取り上げられることがある。その倫理の授業は面白いと言われると、確かに面白くないのだが、そもそもなぜ面白くないのか、倫理教育の在り方とは何かを取り上げている。

第9章「日本の教育の課題と「徳育」―本書の読み方」
本書のガイドと呼ばれるようなところが最後に来るのもどうかであるのだが、それはさておき、これからの道徳教育はどうあるべきか、そのことを見出している。

学校教育は学力を鍛えるだけではなく、社会の中でどのようにして生きるのかを説いている。そのうえで道徳教育は重要なものであるのだが、現状はどのようなものかわからなかった。本書はその現状と対策を知ることができる。

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