インド児童労働の地をゆく

元々日本には「丁稚奉公」という概念があった。そもそも「丁稚」とは、

「商家に年季奉公する幼少の者を指す言葉。職人のもとでは弟子、子弟とも呼ばれる」Wikipediaより)

とある。労働者として弟子となり、雑役などの労働を行うことを総称して表している。形式的には明治維新によりだんだんと減っていき、戦後には全くと言ってもいいほどなくなっていったという。そのことを考えると本書で取り上げている児童労働とは異なる部分もあるが、ある意味、かつてあった日本の児童労働であるとも言える。

そこで本書である。日本ではもうなくなった児童労働だが、インドでは存在するという。そのインドにある児童労働はなぜ存在するのか、そしてその現場とは何かを追っている。

第一章「いま、なぜ、児童労働か」
インドはイギリスから独立を果たし、近代国家を作り上げていこうとしたのだが、そのなかで「教育の二重構造」が発生した。それは何かというと身分の高い官僚や中間層は全寮制の学校に通うなどのエリート教育を受けることができた一方で地域・収入によっては満足に教育を受けることができず、家計のために小さいころから働きに出る必要があった。それが「児童労働」である。

第二章「シバカシ村のマッチ工女―なぜ、子どもの労働が必要とされるのか」
タイトルを見るに「マッチ売りの少女」を思い出してしまったのだが、そうではなく、マッチをつくるための工場で働く少女たちを取り上げている。その工場は想像を絶するほど過酷な環境であるが、その環境の中で働く少女たちはどのような事情で働いているのかについて取り上げている。

第三章「タール砂漠の児童労働―技能継承・債務労働・不就学」
インドの地方によって工芸品が生産されており、国内外でも需要が存在するほど人気がある。しかしその工芸品も実際に作っているのは児童たちであるという。そもそもなぜ工芸品を児童たちに行っているのか、その理由を取り上げると同時に、その生産地の一つであるタール砂漠の子どもたちの現状も取り上げている。

第四章「ガンジス平野のカーペット村―ミルザプル・バードイ村のドゥーリー織り」
インドの工芸品は数多くあるのだが、その中でもカーペットは有名であり、ペルシャ系のカーペットは高級品の一つとして挙げられている。そのカーペットもまた児童たちによってつくられているという。そのカーペットの生産工程も含めて取り上げている。

第五章「カルカッタのスラムと児童労働―ハウラー橋からスラムへの道」
インドのカルカッタといえばインドの中でも有数の大都市であるが、地域によっては「スラム」と呼ばれるような所も存在する。そのスラムの中でも児童労働者がいるのだが、その労働者はどのような仕事を行っているのか、そのことについて取り上げている。

第六章「西ガード山脈を越える児童労働―ウディピ村から街の厨房へ」
児童労働はインドのどこにでもあるといえる。第五章で述べた大都市圏にも存在しているのであれば、辺鄙な所もごく当たり前に存在するとも言える。その理由が本章にあり、山脈を越えた村のなかで料理人として働いている子どもがいるのだという。

第七章「不就学児童労働を考える―なぜ、子どもは学校に行けないのか」
そういった児童労働がある中1991年にインド政府は「経済自由化政策」がつくられ、実行されるようになっていった。そこからインドは経済成長をし続けていき、IT大国として成長していった。しかしながら未だに児童労働が存在している現状にあり、なおかつ労働の代償として満足に教育を受けることができないのだという。

今でこそインドは経済成長を遂げ、教育体制も築きつつあり、児童労働は減少しつつある。しかし経済成長による歪みが貧富の差によって表れ、未だに児童労働が無くならない現状もある。しかもインドには「カースト」と呼ばれる身分差別があり、平等に教育を受けることができるうえでの障害にもなっている。そのことを考えるとインドの児童労働をなくすとひと言で言っても解決までの道のりは一枚岩ではないことがよくわかる。