宝塚幻のラインダンス―戦争で夢が消えた乙女たち

宝塚音楽学校は2年間のカリキュラムが組まれており、その2年間で卒業し、晴れて宝塚歌劇団の一員になる際、初舞台の催しものとして「ラインダンス」が行われる。

ラインダンスは毎年行われている初舞台の恒例行事の一つであるのだが、そのラインダンスが「幻」となったことがあったという。本書はその「幻」となったラインダンスを迎えた世代を中心にその時代に生きたタカラジェンヌたちを追っている。

第一章「一枚の写真」
ラインダンスは「初舞台」の象徴であるのだが、その初舞台を踏めなかったタカラジェンヌたちがいた。現在ではすでに80代にもなる乙女たちであるが、「80代」でもわかる通り、大東亜戦争をはじめとした第二次世界大戦によって初舞台を踏むことができなかったタカラジェンヌたちたちである。そのタカラジェンヌの数は135人もいた。

第二章「暗雲の中の光り」
その初舞台に立つことができなかった経緯について記されている。支那事変によって日本と中華民国が戦争に踏み切ったのが1937年。そこから日本は急速に戦争に向かうこととなった。いつ大きな戦争が起こるのかわからないそのような時にタカラジェンヌになろうと志した乙女たちはどのような人生を歩んでいったのか、そのことを取り上げている。

第三章「断ち切られた夢」
1944年3月4日、戦争によりついに宝塚歌劇団の本拠地である宝塚大劇場が閉鎖することとなった。音楽学校もその閉鎖から半月で卒業生を送り出し、同じく閉鎖することになった。

第四章「宝塚への道は遠く」
大東亜戦争が終わった後も宝塚歌劇が復活するのに時間はかかった。ようやく再開されたのは戦争が1年近く経ってからのことである。しかし戦前最後の卒業生たちは、男子は兵隊に、女子も挺身隊に入隊して戦争を支えることとなった(1953年に男子部は廃止されたが、戦前と戦後間もない時の宝塚歌劇団には男子がいた)。その最中、志半ばで亡くなった人もいた。

第五章「夢をかなえた人たち」
1946年に宝塚大劇場が再開した。戦前に宝塚音楽学校を卒業した方々も、そして戦後間もない9月で歌劇団に入団した人も初舞台を踏んだ。その時は雪組によって上演されたのが歌劇「カルメン」、そしてレビュー「春のをどり」である。

第六章「それぞれの「舞台」」
宝塚音楽学校の卒業、年賀式、舞台上の退団など改まった場において黒の紋付と緑の袴で口上を述べることが宝塚歌劇の習わしとしてある。その習わしに従い、閉鎖する直前に宝塚音楽学校に在籍した方々が一堂に会し合同で卒業式を行ったのは1981年のことである。その時代に生きた方々の足跡について全員ではないものの、主だった方々について取り上げているのが本章である。

本書のサブタイトルに「乙女たち」とあるが、第四章でも書いた通り、当時は「男子部」があり、男子も中にはいた。とはいえど、現在の状況を見ると「乙女たち」でも良いのかもしれない。それはさておき、宝塚歌劇にも歴史があるようにその激動にさらされた方々がタカラジェンヌたちにもいた。本書はその足跡を知るには絶好の一冊である。