絶望の裁判所

本書のタイトルを見るとふとゲームやアニメになった「ダンガンロンパ」を思い出してしまう。この作品自体は裁判ではないのだが「学級裁判」と標榜して指名された者を死に追いやることから「絶望」がサブタイトルにつく。

それに似たものではないのだが、本書は元々裁判官で、最高裁を含めた様々な裁判の現場を見聞きして思ったのが「絶望」の二文字だったという。その理由を本書で暴露している。

第1章「私が裁判官をやめた理由(わけ)―自由主義者、学者まで排除する組織の構造」
著者は元々裁判官だったのだが、なぜなったのかというと自分自身が会社員になるような人間じゃなかったのだという。そこから司法試験に合格し、裁判官として長らく働くことになったのだが、その中で働いている人々の側面を見たことから退職に踏み切ったという。

第2章「最高裁判事の隠された素顔―表の顔と裏の顔を巧みに使い分ける権謀術数の策士(マキヤヴェリアン)たち」
著者は最高裁でも勤務をしたことがあるのだが、その中で長官をはじめとした判事たちの側面も何度も垣間見たというその中で「表」「裏」の顔を取り上げている。また本章では今から7年前から始まった「裁判員制度」についても言及している。

第3章「「檻」の中の裁判官たち―精神的「収容所群島」の囚人たち」
何とも物騒なタイトルであるが、なぜこのようなタイトルになったのかというと、元々裁判所、もとい裁判官自体の世界が「事務総局」と呼ばれるところが中心となっている。事務総局の意向一つでどこかの裁判所に栄転したり、反対に左遷したりすることがあることから「檻」と比喩して取り上げている。

第4章「誰のため、何のための裁判?―あなたの権利と自由を守らない日本の裁判所」
裁判所は様々な利害が衝突する民事裁判と、法律違反について問う刑事裁判などがある。他にも多岐にわたるのだが、それらの裁判は様々な「エゴイズム」が働くのだが、その中で最も働くのが裁判官のエゴイズムなのだという。

第5章「心のゆだんが人々―裁判官の不祥事とハラスメント、裁判官の精神構造とその病理」
裁判官の不祥事もまた様々なメディアで取り上げられるのだが、主だった事例はどのようなものか、そしてなぜ「不祥事」を起こすのか、その精神構造や病理について取り上げている。

第6章「今こそ司法を国民、市民のために―司法制度改革の悪用と法曹一元制度実現の必要性」
司法制度改革は政府で行われることがあるのだが、これをやるだけでは司法そのものが変わるわけではなく、むしろ裁判官たちの思うつぼにされてしまうという。そのため「法曹一元制度」を取り入れる必要があるのだが、どのようにして取り入れたらよいかを低減している。

私たちの知らない「裁判」の場の実態、それが元裁判官だからでこそ語ることができたからでこそ、知られざる姿を垣間見ることができた。その意味で裁判のあり方を考えるうえで大きな意味を持つ一冊と言える。