平和主義とは何か – 政治哲学で考える戦争と平和

平和を嫌う人はめったにいない。誰しも平和を尊いものと思っているのだが、「平和主義」となるとその本質は大きく変わってくる。そもそも平和主義となると戦力保持すら認めない論者もいれば、平和主義の思想だけで戦争は止められるというような論者までいるのだから人によっては「眉唾物」と思われても仕方がない。しかし「平和主義」とは一体どのようにして生まれ、変容していったのかを考えていくと

第一章「愛する人が襲われたら―平和主義の輪郭」
そもそも平和主義はどこから生まれたのかというと、そのルーツとなっている人物が2人いる。1人は「戦争と平和」で有名なロシア文学者トルストイ、「ラッセル法廷」で有名なイギリスの哲学者ラッセルである。その2人が定義した「平和主義」とは何を表しているのか、そしてその定義に対する批判にはどのようなものがあるのかを取り上げている。

第二章「戦争の殺人は許されるか―義務論との対話」
平和主義者の語る内容の多くとして「戦争は暴力」というものである。確かに武器をもって人を殺すようなことは往々にしてあるのだが、それは単なる一側面でしかない。最近では「サイバー戦争」といったことがあるように「情報戦」と呼ばれるような戦いも少なくない。それもまた平和主義で片づけることができるのかと些か疑問に思ってしまう。

第三章「戦争はコストに見合うか―帰結主義との対話」
戦争には当然コストはかかる。そのコストが見合うかどうかを取り上げているが、本章の中心になるのが「非暴力」である。古くはマハトマ・ガンジーの「塩の行進」もあれば、軍事政権下のミャンマーでアウンサン・スーチーが行った非暴力の民主化運動が挙げられる。

第四章「正しい戦争はありうるか―正戦論との対話」
戦争に「正しい」「誤った」の定義はあるのか。その中でも前者だったのが「正戦論」があったという。その正戦論とは一体何かを説いているのが本章である。

第五章「平和主義は非現実的か―現実主義との対話」
「平和主義」というと「お花畑」や「非現実的」と指摘があるのだが、果たしてそれは本当なのだろうか。その本質を取り上げている。

第六章「救命の武力行使は正当か―人道介入主義との対話」
人の命を救うための「武力行使」があるという。その武力行使は本当に人のためになっているのかというと、ケースバイケースによる。20数年前から「PKO」という活動が行われるようになってから、日本でも同じような活動を行い始めるようになった。最近では「駆けつけ警護」のガイドラインも制定するようになり人道介入主義が広がっている。その広がりについて本章では起源も兼ねて取り上げている。

平和主義は哲学や政治思想といったところから誕生しているのだが、しかしなぜ平和主義は忌避される、あるいは眉唾物だと思ってしまうのか、その本質を知ることは本書ではできなかった。しかしながら平和主義とは何かについてルーツを理解することができた一冊と言える。