Hiroshima 都市と球場の物語

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今年のプロ野球のペナントレースが終わってもう1か月近く経つ。今年は北海道日本ハムファイターズが日本一を獲得した。しかしそれ以上に話題となったのは、広島東洋カープが25年ぶりのセ・リーグ優勝さらには日本シリーズで大活躍を果たしたことである。ここ2~3年は上位に食い込むことが多くなったのだが、それまでは毎年Bクラス状態が続いた。それでもファンはあきらめず応援し、Aクラスへと導いたのだが、その原動力には「広島市民球場」の存在があったと言える。今となっては「MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島(略称:マツダスタジアム)」となっているだが、本書ではあくまで「新広島市民球場」と銘打って紹介している。

PARTⅠ「広島市民球場の半世紀」
元々プロ野球の球団は「親会社」の存在なくしては成り立たなかった。巨人であれば「読売新聞」、横浜であれば「DeNA」、福岡であれば「ソフトバンク」など大会社が存在する。ちなみに広島はというと、親会社は「マツダ」としてはあるが、厳密に言えば「松田家」であり、「マツダ」というメーカーの創業者一族が親会社として扱われる。もっとも「広島東洋カープ」の「東洋」は「マツダ」の旧社名である「東洋工業」から取られている。
しかし親会社がいなかったことから球団発足当初は資金集めに奔走し、加盟するにも親会社がいないことのリスクも生じた。しかしそのような状況でも市民とともに成長したことによって「広島市民球場」が完成し、広島のペナントレースが始まった。当初は低迷していたが、徐々に成長を続けリーグ優勝・日本一へと成長した。

PARTⅡ「新広島市民球場の誕生」
初代の広島市民球場が落成したのが1957年、その年にゲームが行われ、52年もの間試合が行われたのだが、慢性的な老朽化に伴い、「新広島市民球場」が完成した。その完成までのプロセスでも、他球団の騒動はもちろんのこと広島県・市の両議会を巻き込んでの議論にまで発展した。そういったすったもんだもあり、なんとか2009年に完成した。それから現在もなお新しい球場で戦いが行われている。

PARTⅢ「球場革命」
初代の広島市民球場がどのようなことをもたらしたのか、そして新しい新広島市民球場は何をもたらすのか、そのことについて取り上げている。

広島県民・市民に愛され続けている広島市民球場と新広島市民球場、その思いが実を結び今年のセ・リーグを席巻したことは疑いようもない事実である。その姿は今もなお球場という形にて残っている。

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