釜石ラグビー 栄光の日々 – 松尾雄治とくろがねのラガーたち

ラグビーフィーバーが止まらない。昨年では日本代表が強豪である南アフリカ代表との試合で劇的な逆転勝ちを果たし、一躍スポットライトを浴びるようになった。現在もラグビーは止まることを知らず、「五郎丸ポーズ」でおなじみの五郎丸歩選手を筆頭として、ラグビーの人気は止まるところを知らない。

しかしラグビーにおける「熱」は古くは伏見工業の存在もあれば、本書で取り上げる新日鉄釜石ラグビーチーム(現:釜石シーウェイブス)が挙げられる。釜石ラグビーは松尾雄治氏を筆頭にした強豪のチームで日本選手権・全国社会人大会の各7連覇の金字塔を打ち立て、黄金時代をつくり上げた。その要因とは何か、本書ではその釜石ラグビーチームの黄金時代前夜から黄金時代、そしてその終わりに至るまでの歴史を綴っている。

第1章「万年優勝候補―1971~76年」
新日鉄釜石ラグビーチームは元々「富士製鐵釜石製鐵所」のおひざ元で1959年に「富士鉄釜石ラグビー部」として生まれた。生まれてから3年で日本選手権出場を果たした。そして1970年に全国社会人大会初優勝はするもののその後はトヨタ自工に後塵を拝することとなった。

第2章「黄金時代の幕開け」
本章の話は黄金時代を迎える1年前の4月に移る。なぜ「幕開け」なのかというと、7連覇の立役者の中心核である「松尾雄治」が社員となり、入団したことが挙げられる。その年は70年以来6年ぶり2度目の社会人大会優勝を果たした。

第3章「対トヨタ自工、まさかの敗戦」
しかし翌年はライバルだったトヨタ自工に準決勝でまさかの敗戦を喫することになった。トヨタ自工の側から見ても前年の決勝に敗れた相手へのリベンジに燃えていたこともあったのかもしれないが、この敗北が後の黄金時代の起爆剤へとつながっていった。

第4章「王座奪還―V1への道」
その翌年にリベンジを果たし、3度目の社会人大会優勝を果たした。同時に日本選手権も2度目の優勝を果たし、いよいよ黄金時代へとつながっていくことになった。

第5章「負けようのないチーム―V2からV4へ」
松尾雄治氏が中核選手となり、もはやどこにも負けないチームを築いていくこととなった。もはや当たり前のように勝利を日本選手権・社会人大会の2つの大会の連覇の山を築いていった。と同時に前述の連続ほどではないものの国体にも出場を果たし77・79年と優勝をもぎ取っていった。

第6章「薄氷を踏む勝利―V5からV7へ」
しかし連続優勝を築いていけばいくほど、相手も釜石対策を強固なものとしていく。V5からV7までは決勝のスコアだけを見ると「完勝」という言葉が良く似合うのだが、それ以前の準決勝までのトーナメントの中で薄氷を踏むような勝利も所々見られたことからそう名付けられた。

第7章「松尾なしで勝ちたい!―1985年の闘い」
しかし黄金時代の主軸を担っていた松尾雄治氏が1985年に引退をした。その年は、松尾氏以外は主軸の選手がそろったのだが、いずれの戦いもV8を果たすことができなかった。以降国体・社会人大会・日本選手権ともに優勝を果たすことはできなかった。

今となっては全盛期ほどの強さはないものの、黄金時代を含めて合計26回の優勝と呼ばれる金字塔を打ち立てたことは今もなお、記録として残っている。その記録は松尾雄治氏を主軸としたチームが築き上げたことは今もなお釜石を中心に残っている。そのことを克明に刻んだのが本書である。