もじれる社会―戦後日本型循環モデルを超えて

一見「もれる」と読み間違えてしまうのだが、「もじれる」は簡単に言うと「もつれる」「こじれる」が合わさった造語である。2つの意味がドッキングする意味としてはバブル崩壊後の日本経済を形容する形として象徴づけられているという。その象徴づけられている社会がどのようにして変化を遂げていくのか、そしてどのような対策が必要なのかを取り上げている。

第1章「社会の「悲惨」と「希望」」
社会における「悲惨」は数多くある。昨今起こっている経済・社会に関する出来事はいずれも「悲惨」とも言えるような出来事ばかりであり、なおかつ未来がないように見えてしまいがちになる。しかし場所によっては「希望」が生まれる場所もあるのだという。その場所とはいったいどこにあるのかを取り上げている。

第2章「戦後日本型循環モデルの終焉」
戦後日本は「日本型循環モデル」と呼ばれる経済や社会モデルでもって高度成長を遂げ、戦後復興はおろか「経済大国」にまで成長していった。その成長していった中で循環モデルに陰りが見え始め、それがバブル崩壊とともに「終焉」を迎えているのだという。

第3章「若者と雇用」
若者としても、ミドルとしても、雇用事情に厳しいことには変わりない。しかし雇用事情が厳しいと言っても質が異なり、なおかつ事情も大きく異なる。その事情はどのようなものがあるのか、本章ではそのことを取り上げている。

第4章「教育のアポリア」
教育現場にも経済や社会における「歪み」が生じている。その生じている歪みとは一体どのようなものがあるのか、本章では高校をはじめとした学校の現状からいじめ・体罰に至るまでのことを取り上げている。

第5章「母親・家族への圧力」
教育だけではなく「家庭」にも「もじれる」現象は存在するのだが、その存在する「もじれる」原因とはどこなのか、本章ではそのことを取り上げている。

「もじれる」という言葉は経済や社会だけにあると思っていたのだが、それだけではなく教育や家庭にまで波及している。それだけ社会の事情が変化しただけではなく、経済などの要因は私たちの生活の中にまで影響を受けるということがよくわかる。本書はそういう一冊である。