路地の教室―― 部落差別を考える

路地というとストリート文化のことを指しているのかもしれないが、本書で取り上げている「路地」はむしろネガティブなもので「同和」や「部落」の中における教室・教育のことを指している。しかしなぜ「路地」なのか、そのルーツと現在について、「差別」とともに取り上げている。

一限目「路地とは何か」
そもそも著者自身も同和地区の出身であり、なおかつ同和解放の教育を先駆けて行ったところとして知られている。その場所では路地にて住んでいる人も少なくなかったという。

二限目「路地を書くこと」
路地を書くことは、路地の絵を描くのではなく、路地の現状を書面にして書くことが挙げられる。その挙げられる路地のあり方はどのようなものか、ルポルタージュの手法とともに取り上げている。

三限目「路地のルーツ」
路地にはどのようなルーツが挙げられるのか、そのものとして江戸時代にあった差別的な身分が挙げられる。その差別的な身分として住まわされた所として挙げられるのが「同和」や「部落」といったところに挙げられる。

四限目「同和教育と解放教育」
同和教育や部落解放教育とはどのようなものがあるのか、それは「差別」がどうしても絡んでくるし、なおかつ「人権」にも大きく絡んでくる。

五限目「同和利権」
同和利権はTVなどのニュースではあまり取り上げられない。その理由として「差別」というタブーが存在するためである。その同和には利権が存在するのだが、どのような利権が存在するのか、そしてその利権を誰が拝受しているのか、そのことを取り上げている。

六限目「差別とは何か」
そもそも差別とは何か、根源的なことを問うているのが本章である。もっとも差別自体は人間もとい動物そのものにも存在するものであるのだが、人間は理性でもって「差別」を作る場合もある。その場合とは何かも含めて考察を行っている。

「路地」というと青空教室のイメージがあったのだが、本書のサブタイトルから見るとはっきりと「差別」のことを挙げていることがよくわかる。その差別は見えてくるものもあれば、長年の歴史に埋もれ見えなかったところもあった。その見えなかったところを本書でもってあぶりだされている印象だった。