テレビの日本語

私自身日本語には敏感であるのだが、本来ある日本語にすべきというよりも新しい日本語を色々と調べたり、あるいは方言を使ったり調べたりするように、地域やルーツを読み解きながら色々と取り入れる面で敏感になっている。もっともテレビでも日本語に気を使うことがあり、とりわけ「報道」といった場所ではそういったことが往々にしてある。そもそもテレビの現場ではどのようにして日本語を紡いでいくのか、その言葉選びや文体の変化について長年NHKのアナウンサーとして携わった著者が解き明かしている。

第1章「テレビのことばはこう作られる」
日本語と言っても形作られるにもカタカナ・ひらがな・漢字といった文字ばかりではない。イントネーションや間といった文字では表すことができないようなものもある。それらをひっくるめてテレビにおける「日本語」が出来上がる。その出来上がる言葉がどのような「品質」を持っているのかを取り上げている。

第2章「時代を映すテレビのことば」
テレビ「ことば」は時代とともに変わってきているという。事件や災害についても様々な変化を生じてきている。もっとも以下のように「津波注意報・津波警報」の表示でも変わってきている。

この変化は災害に関するものだが、他にもテレビでも変化は生じているが、それが相容れられない「乱れ」があるのだという。

第3章「ニュース文体はこう変わってきた」
第2章で取り上げたのは津波情報だけだが、これだけでもNHKにおける報道の「ことば」の変化がよくわかる。もちろん本章では前述の「文体」も取り上げている。

第4章「災害報道のことば」
災害報道もまた時代とともに変化を生じている。その生じている変化は東日本大震災や阪神・淡路大震災の災害の歴史をたどっていくと災害報道そのものが変化していることがよくわかる。

第5章「報道現場でのことばの選択」
その報道現場はどのようにして言葉の選んでいくのか、リポーターの言葉選びや選挙報道のアナウンサーや編集など様々な角度からことばの選択をどのようにしていくのかが描かれている。

テレビの現場における日本語は様々なきっかけから作られ、変化を遂げていった。しかしその現場で日本語の乱れが助長するようなこともあるのだが、大方、「いま」の日本語が作られていくことがよくわかる。本書はその現場を表している。