常識の路上

私自身「常識」という言葉は好きではない。もっとも「常識」という言葉もあるのだが「世間一般」や「普通」といった言葉にも似ていることがある。とどのつまり「常識」は場所もあれば、時間軸、さらには人の価値観によって大きく変わるのである。そのことからそういった言葉を振りかざす人をどうしても信用することができない。

私事はさておき「常識」という言葉をひとえに言っても冒頭にも述べたように「場所」にも異なりがみられる。その見られる異なりとはどのようなものか、著者自身が世界中を旅しながら探したエッセイ集である。

最も著者自身も「常識」という言葉に怨恨を生じているのだが、その怨恨はどこから生じているのか、著者自身も旅をしながら解き明かしている。そのほかにも著者自身の「信じるべき」道についても明らかにするだけでなく、6年前に起こった3.11の記憶についても自らの観点から綴っている。