書く力は、読む力

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今でこそ死語なのかもしれないが、昔の学校で学ぶものとして「読み・書き・そろばん」がある。その3つの要素のうち2つは本書で取り上げている要素をどのように鍛えたらよいのか、そのことを取り上げている。

第一章「ちゃんと、読めていますか」
私自身これまで数千冊の本を読んできたのだが、ちゃんと読めているのかと言うと全くと言ってもいいほど自信がない。もっとも私に限らず書評家の多くは「誤読」といったことがある。しかしながら読書はそういった経験を経てだんだんと読んでいくようになり、なおかつ読書をする面白さを見出すことができるようになる。

第二章「人はどのように読んできたか」
どのように読んできたのか、自分自身でも最初は少し早く読むようになってからはどのように読み進めてよいのかは覚えていない。しかしながら読み方と言っても字面を追いかけているというよりも、文面からどの表なイメージを持ったかを大事としており、なおかつ自分自身はどのような視点を持ったのかを大事にしている。

第三章「読むことは書くこと」
もっとも読み書きはほぼ同じような意味を成しているのかもしれない。なぜ「ほぼ」なのかと言うと、「読み」「書き」は異なる要素であるがゆえに、同じとは言えない部分もあると考えているためである。ただ読みをすることによって「書き」もまた技術を磨く材料となり得る。そのことを本章にて取り上げている。

第四章「書くことは読むこと」
その逆もまた然りである。書き続けることによって読みにも影響を与えており、観点を築くことができるようになる。しかし文章を書いていると些かちぐはぐなものになってくるのだが、それはあくまで文法的な意味を成している部分が多い(書いていくうちに論点がずれてしまうこともしばしばあるのだが)。ただ「書く」場合は文法や作法と言うよりも、書きたいこと、言いたいことがきちんと文面にしていくことが何よりも重要である。その視点と文章のあり方を取り上げている。

第五章「それでも書けないという人へ」
それでも作文をすると「書けない」というようなことが何度かある。その場合はどうしたら良いのか、主なものとして「体験」がある。その「体験」こそがエピソードとして紡ぐことができる。

本を読むことで書く量も面白さも変わってくる。それは自分自身が10年前、書評を始めたときに初めて気づいたのかもしれない。とはいえ完全に「そうだ」と思ったわけではない。本を読むときでも「誤読」にあることはしばしばあり、書くことでさえも論点がめちゃくちゃになることも頻繁にある。私自身「読み」「書き」は一生の修行である。なぜならばそれらには明確な「答え」はないし、一生かけて磨き続けていくべきものなのだから。

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