そろそろ、部活のこれからを話しませんか 未来のための部活講義

私自身中学・高校と吹奏楽部だった。特に高校は全国的に有名な高校だったことからありとあらゆるものを犠牲にして部活にのめりこんだことを今でも覚えている。その中で普段ではありえないような体験をすることができ、今の自分の一部人もなっている。

しかしながら今日の部活では過酷ばかりが先行し過ぎて本当の意味での「教育」となっているのか、その負の面が表立っているようなように思えてならない。その部活は今岐路に立たされているのだが、その部活はどうあるべきなのか、そもそも部活とはどのような意味があるのか、それらを分析している一冊である。

第1章「なぜ部活は成立しているのか」
そもそも部活とは何か、現在では学校の一つの共通認識を持ったいわゆる「サークル活動」や「クラブ活動」に準ずるものであり、もっともこれは学校だけに限られた話ではない。社会人においても会社における「部活動」があるというが、本書ではあくまで「学校」における「部活動」に限定している。

第2章「部活はいつ始まったのか」
部活動自体は学校の概念ができた明治時代の頃から始まった。その始まった部活動は戦争を経て現在のような概念になった。

第3章「なぜ部活は拡大したのか」
もっとも部活動はスポーツののみならず、文化系にまで発展していった。その部活動の拡大の中では民主主義の成立や東京オリンピックなどの出来事をきっかけに部活動が広がりを見せるようになった。

第4章「いま部活はどうなっているのか」
部活の広がりによって教師と生徒、さらには部活の存続など様々な問題をはらむようになった。その部活の現状はどのようになっているのかケースをもとにして取り上げている。

第5章「部活の政策は何をしてきたのか」
国は部活に対してどのような政策を行ってきたのかを取り上げているが、その代表格である「外部指導員」についても言及している。もっとも外部指導員は学校においては「嘱託」として働きつつ、生徒指導に当たる人であり、私のよく知っている吹奏楽の世界でも嘱託として働きながら吹奏楽の指導を行い、全国へと行った学校はいくつか知っている。

第6章「生徒の声明を守れるか―死亡事故と体罰・暴力」
部活動における死亡事故・事件が後を絶たない。その事件が取り上げられていくたびに、見直しを見せようとしているのだが、本当に見直されているのか、そのことにおける疑問符について洗い出している。

第7章「教師の生活は守れるか―苛酷な勤務状況」
教師が部活動の顧問を務めるのだが、その務めることを拒否できるのかどうかについて議論があったほどである。その過酷な状況は「ブラック部活」として槍玉に挙げられることもあったのだが、本章ではその部活と教師とのあり方を議論している。

第8章「生徒は部活にどう向き合っているか」
生徒目線で見たら部活は「青春」と映るものもいれば、面倒なものと映るものもいる。自分自身は幸運にも前者であったのだが、後者ととらえている人も少なくない。

第9章「部活の未来をどうデザインするか」
もっとも部活動はどうあるべきなのか、そもそも部活動を廃止すべきという声もある一方で学生でしかできないような活動とはどのようにしたら良いのか、教師・生徒双方の観点から提言している。

部活動は学生ならではの青春である一方でブラックと呼ばれるようなこと、さらには事件の温床になり得ることがある。その温床になるような中で、どのように改善したら良いのか、それを考えるきっかけとなる一冊であった。