ヒゲの日本近現代史

ヒゲと言うとダンディな印象を持たれる一方で、人によっては汚らしい対象として扱う人もいる。もっともヒゲ自体は人類が生まれた時から存在したともいわれているのだが、本書はあくまで日本近現代史として明治維新以降のヒゲのあり方について取り上げている。

第一章「明治時代におけるヒゲ大流行と権力性」
明治維新を経ると、様々なヒゲをはやす人が増えていった。もっとも明治天皇もまたヒゲをはやしている肖像画や写真がいくつもある(もっとも明治天皇自身「写真嫌い」として有名であったが)。文明開化とともに断髪もあればヒゲを伸ばす風潮が強くなっていったという。

第二章「明治後期のヒゲ論―寺田四郎『ひげ』を中心に」
明治時代後期のヒゲはどうなのか、作家の寺田四郎の「ひげ」と呼ばれる作品を中心に取り上げているのだが、もっともなぜ「ひげ」が作られたのか、その経緯についても論じている。

第三章「『太陽』掲載社員に見る明治後期~大正初期のヒゲの様相」
明治時代の終焉から大正時代に入ってからも「ひげ」の他にも雑誌「太陽」に掲載されることがあった。その「太陽」には様々なヒゲが取り上げられたのだが、その理由についても列挙している。

第四章「大正デモクラシーと流動化するヒゲ」
大正デモクラシーの時代に入ってくると、ヒゲは少しずつ鳴りを潜めていった。もっともヒゲをつけない「モボ(モダン・ボーイ)」もいればヒゲを忌避する「モガ(モダン・ガール)」が出てくるようになったためである。

第五章「軍国主義時代におけるヒゲの選択と実状」
軍人が台頭し始めたころと言うと、大東亜戦争が行われる前後のことであるのだが、その時にはヒゲの復権運動があり、軍人の中にはヒゲを蓄えたり、自己流のヒゲをつくったりする人も中にはいた。

第六章「ヒゲの戦後史」
戦後になってからヒゲはだんだんと蓄える人が少なくなり、「ヒゲ」を忌避するような風潮が広がり始めている一方でファッションとしてヒゲを蓄える人もいたという。

第七章「ヒゲの現在」
今となってヒゲは両極端の存在になっていった。その「両極端」とは「ヒゲ」をカッコいいと思っている人もいれば、ヒゲは「汚い」と思う人がいるということにある。多くは不潔の印象として後者を選ぶ人が多い。その一方でヒゲをたたえるイベントも行われているという。

ヒゲは今も昔もあるのだが、歴史をたどっていくと、ヒゲもまた変化していると言ってもいいと言える。しかしその「変化」もまた良くも悪くもであり、その印象の変化によってさらされてきたとも言える。その一面を垣間見ることができるのが本書である。