人類哲学序説

人類はどのような存在なのかそれをいかにして考察を行うことが「哲学」なのだが、その「哲学」は森羅万象、さらには時間など多岐にわたる。その中でも人のあり方を中心にしているのが「人類哲学」である。その人類哲学のイロハを紹介している。

第一章「なぜいま、人類哲学か」
人類とは何か、そして人間として生きるべき要素とは一体何か、西田幾多郎や鈴木大拙といった日本人哲学者の紹介しながら取り上げている。

第二章「デカルト省察」
中世~近世にかけて活躍した哲学者の中でも代表的な人物としてルネ・デカルトがいる。そのデカルトは方法序説を中心に人類哲学としてどのような考察を行ったのか、名言である「我思う、故に我あり」や著者自身が成立した「梅原日本学」などを題材に考察を行っている。

第三章「ニーチェ及びハイデッガー哲学への省察」
近世から近現代にかけて活躍した哲学者は枚挙にいとまがないが、代表的な人物として挙げられるのがニーチェやハイデッガーである。それぞれの哲学のあり方は異なるのだが、そもそも2人の哲学者は「人類」とはという命題にどのように向き合ったのかも表している。

第四章「ヘブライズムとヘレニズムの呪縛を超えて」
本章と次章は哲学者単位ではなく、文化や森羅万象の単位として取り上げている。本章ではどちらかと言うと古代文明において「人類」はどのように考えられたのか、そして古代ギリシャ時代におけるソクラテスやプラトンにて人類はどのような定義だったのかに至るまで掘り下げて考えている。

第五章「森の思想」
本章では和洋問わず様々な哲学から紐解いているのだが、テーマとして「森」であるだけに自然哲学からいかにして人類を読み解いていくのか、そして人類哲学を取り上げることの重要性も説いている。

人類にはまだまだ謎が多い。その謎を哲学の観点から考察を行うために「人類哲学」がある。もっとも人類を解明することもあるのだが、人類が人類たらしめるためのあり方を考え出すこともまた「人類哲学」の範疇といえる。本書はそのことを明らかにしている。