市川猿之助傾き一代

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市川猿之助の名跡はすでに四代目に受け継がれており、本書で紹介される猿之助はその前の代であり、現在は二代目市川猿翁である。現在でこそパーキンソン病を患っており、満足に舞台をこなすことができないのだが、現在は実子である九代目市川中車(香川照之)の稽古指導を行っている。三代目猿之助は歌舞伎界の孤児でこり孤立無援の状況、なおかつ新聞や劇評家からの批判にもさらされながら、ケレンの演出やスーパー歌舞伎を誕生した功績を持つ。その足跡とは何か本書ではスーパー歌舞伎やオペラを中心に取り上げている。

序幕
そもそもなぜ三代目猿之助の評伝を書こうと思ったのか、その足跡と三代目猿之助の魅力とともに追っている。

二幕目「スーパー歌舞伎への挑戦」
スーパー歌舞伎が生まれたのは1986年、「ヤマトタケル」であった。そのきっかけはある哲学者との出会いだった。梅原猛(うめはらたけし)である。その梅原氏は新歌舞伎を鑑賞しある不満を覚えた。その不満を三代目猿之助にぶつけると、猿之助は梅原に歌舞伎の脚本を依頼した。そしてできたのが「ヤマトタケル」である。今までの歌舞伎・新歌舞伎とは全く異なる歌舞伎が生まれた。もちろん反響も大きく、当時の人間国宝であり、歌舞伎界の第一人者の一人であった十七代目中村勘三郎(今の中村勘九郎の祖父)が、「僕がもし10年若かったら演(や)りたい!」と三代目猿之助に伝えたほどである。そのスーパー歌舞伎は続々と生み出し、四代目猿之助になってからは「ワンピース」をはじめとした「スーパー歌舞伎Ⅱ(セカンド)」が生み出されている。

三幕目「オペラへの挑戦」
スーパー歌舞伎では主役の他にも演出も携わっていたのだが、その演出の辣腕はオペラでも行われることとなった。パリで上演された「コックドール」やドイツで上演された「影のない女」などの作品の演出を行うこととなった。三代目猿之助ならではの斬新な演出は海外の観客やスタッフ、演者にも感動を与えた。

四幕目「伝統への挑戦」
三代目猿之助もまた歌舞伎における「伝統」を忘れていない。その伝統は新しくするべき部分もあれば、守るべきものもある。その守るべき伝統であるとともに、その伝統に対して以下に立ち向かっていったのかということを「獨道中五十三驛(ひとりたびごじゅうさんつぎ)」の演目とともに取り上げている。

澤瀉屋(おもだかや)を大きくし、歌舞伎界に旋風を巻き起こした三代目猿之助は現在それを後世に伝えることもまた行っている。猿之助の名跡を四代目に譲ったものの、その足跡について影響をあたえた人物は少なくない。

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