箱根駅伝 ナイン・ストーリーズ

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毎年1月2~3日に箱根駅伝が行われる。その1年1年に様々なドラマが映し出される。私自身もあまりTVは見ないのだが、このときばかりはTVを見るようになる。様々な物語を紡いできた箱根駅伝はここ最近どのような物語があったのか、スポーツライターとして選んだ物語を9つ取り上げている。

<今井、柏原、神野が、山の神になったとき>
今となっては山の神はもはや神話の類いなのかともいってしまうのかもしれないのだが、今から12年前から昨年までの長い間、山の神が活躍した駅伝があった。そこには順天堂大学の今井正人、東洋大学の柏原竜二、青山学院大学の神野大地がいた。

<青山学院が初優勝を支えて>
前章で述べた神野大地の活躍が青山学院大学の初優勝をもたらしたと言われている。しかし青山学院大学は原晋が駅伝の監督に就任するまでは出場できたことは何度もあれど、シードが取れないことが続いた。監督に就任してから久しぶりにシード権を獲得し、そして優勝にも導いた。

<原監督が、名門・駒沢を抜いた>
原晋監督によって青山学院が初優勝を獲得するまでは東洋大学が黄金時代を築き、その前には駒沢大学が黄金時代を築いた。その黄金時代を築いていた駒澤大学は今年シード権ギリギリの所にまで落ちてしまったが、他の大学が黄金時代を築いたときも常に2位など上位に位置づけていた。その駒大を抜いたのは青山学院が初優勝を獲得した年である。

<横に曲がった人もいる>
今から6年前の話である。その時は早稲田大学が、大学史上3校目となる「3冠」を達成した時であった。東洋大学に21秒の僅差であったが優勝を獲得した、その陰で壮絶な戦いが行われていた。日体大・青山学院・城西大の3校と戦っていた國學院大學である。その大学のアンカーが寺田夏生という選手である。アンカーとして争っていき、シード獲得と思いきや中継車につられてコースが曲がってしまったが最後に全力を引き出し、何とかシードを獲得した。國學院の前田監督はヒヤヒヤしたのは言うまでもない。

<瀬古のラストスパートには狂気がある>
今となってはDeNAの総監督となっている瀬古利彦氏は元々早稲田大学で箱根駅伝でも走っていた。それと同時にマラソンランナーとして活躍もしていた。その秘訣にはラストスパートがある。

<明治は静かに変わっていった>
明治大学は今でこそシード圏外、今年に至っては箱根駅伝出場を逃したのだが、かつてはシードの常連であり、同じ伝統校であった早稲田を破った時期もあった。西弘美駅伝監督が就任し、有力な選手が多数入ったことにあった。伝統校でありながらシード権がなかなか取れなかったがシード権を獲得し、総合3位にまで上り詰めることができた。

<早稲田と山梨学院にはドラマがある>
2校に限らず、様々なドラマがあるのだが、なぜこの2校を挙げているのか、そこには2人の駅伝監督の存在である。特に早稲田の渡辺康幸(現:住友電工監督)が箱根駅伝に出た頃にはステファン・マヤカ(現:真也加ステファン 桜美林大学駅伝監督)がエースとして活躍した時代であった。もちろん2人はライバルとして活躍し、様々なドラマを生み出した。

<中央は伝統に苦しみながら>
中央大学は大学の中で最も箱根駅伝に出場し、なおかつ最多優勝(14回)、最多連続優勝(6連覇)を誇った大学である。しかしその伝統が足枷となり、苦しみ続けることとなった。数年前には途中棄権により連続シードが途切れ、そして昨年は長年連続出場の記録が途切れてしまった。しかしその苦しみもがきながら今年の予選会でようやく2年ぶりに出場することとなった。その足枷から開放されるのか、これから次第である。

<酒井監督が、東洋に帰るまで>
東洋大学の酒井俊幸監督はかつてその大学で箱根駅伝に出場し、コニカミノルタに所属。ニューイヤー駅伝のコニカ黄金時代を支えた人物であったが、2005年に高校の陸上部顧問に就任した。しかしそこから東洋大学のコーチに就任することとなった。その東洋大学に帰ってきた理由とはいったい何か、そのことを取り上げている。

来年も1月2・3日とまた箱根のドラマが始まる。今年で94回目を迎える今回はどのようなドラマが待っているのか楽しみである。

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