「文系学部廃止」の衝撃

私自身は文系学部出身であるのだが、実際にやったのは情報系だったため、どちらかというと、文系と理系との間に入っている印象が強い。もっとも文系学部というと「経済学部」や「商学部」「法学部」と挙げるだけでも枚挙にいとまがないのだが、そもそも文系学部はこれから社会に入る産業界と直結しない点が多いと言う天から「廃止」との声も出始めたという。そもそもなぜ「文系学部廃止」の声が出たのか、そもそも文系学部は社会に役立つのか、そのことを論じている。

第一章「「文系学部廃止」という衝撃」
元々その声が出始めたのは2年前、文部科学省が国立大学法人学長に提出した「国立大学法人等の組織及び業務全般の見直しについて」の通知を出したことにある。元々の文章では規模縮小の文言は出たのだが、それを新聞メディアが「廃止」と言う言葉を使い始めたことにある。ようはメディアの「曲解」とも言えるようなことであるのだが、それが様々なメディアへと広がっていくこととなった。

第二章「文系は、役に立つ」
とはいえ文系は社会に役に立たないのかというと、実際にそうではない。文系の中でも「商学」は実際のビジネスに実践をして行く糧となる理論を得ることができ、「法学」も法律的な知識を体系的に得ることができる、また「経済学」も経済のメカニズムを学ぶことができる良い機会である。必ずと言っても「全く役に立たない」ようなものはなく文系で得た「知」はどこかしらで役立つことができる。そのことを本章にて取り上げている。

第三章「二一世紀の宮本武蔵」
宮本武蔵は「二刀流」と言われており、刀を二つ持ち、併用することで有名である。その一方で剣豪でありながら芸術家の側面を持っているため、その意味でも「二刀流」である。後者を表すとするならば、今年からメジャーで活躍する大谷翔平がその類いなのかも知れない。
大学では様々な「知」を得ることができるのだが、その「知」を得ることによって様々な考え方や方法を取り入れることができる。そのため「二刀流」の生き方を得ることのできるきっかけを作ることができるという。

第四章「人生で三回、大学に入る」
そもそも大学は1度しか入れないワケではない。もっとも大学を卒業した後に、違う学部を「学士入学」として入学することもできる。それもあるのだが、「大学に入る」ことは学生として入ることもあれば職員や教授などで「大学に入る」という意味合いを持つ。しかしその著者の言う「大学を入る」は前者であるのだが、果たしてそれは重要なのか、そのことを大学教授の観点から取り上げている。

大学は教育上の「通過点」の一つのように見えて実は知を得るための場である。その「場」はこれから向かう社会の中で必ず得られるものである。それは文系であっても理系であっても関係ないことである。