天を想う生涯~キリシタン大名 黒田官兵衛と高山右近~

キリシタン大名は数多くいるのだが、その中でも有名な人物もいる。とりわけ本書で取り上げる高山右近は客将として前田家に使えるも、キリシタン大名であることに国外追放され、フィリピンにて逝去した。今から3年前にローマ教皇フランシスコによって列福され、キリシタン大名としては初めて福者となった。

さて本書である、本書は高山右近と黒田官兵衛(黒田孝高の通称)の2人のキリシタン大名がどのような境遇を辿ったのか、そしてキリスト教をどのように信仰していったのか、そのことについて取り上げている。

第一章「官兵衛の危機」
黒田官兵衛は秀吉の参謀として頭角を現したのだが、その中でキリシタン大名となった。その背景には高山右近のすすめがあった。その経緯と黒田官兵衛・高山右近の生涯を簡単ながら取り上げている。

第二章「信長とキリシタン」
信長が活躍した時代にはキリシタン大名が次々とできた。有名な出来事としてイエズス会の宣教師であるフランシスコ・ザビエルが来日し、キリスト教を布教し始めたことから始まる。戦国大名たちの中には物資を求める見返りとしてキリスト教の洗礼を受けると行った人もいた。

第三章「秀吉の時代のなかで」
信長が本能寺の変にて亡くなったのち、秀吉が台頭することとなった。その台頭していくなかで黒田官兵衛が参謀として活躍してきたのだが、その中には高山右近の勧めにより、キリスト教の洗礼を受けるようになり、キリシタン大名が広まってきた。その一方で、仏教・神道との対立も深めていった。

第四章「秀吉とキリシタン」
秀吉が大阪城を完成させ、天下統一を果たした秀吉は、対立を憂い、伴天連追放令(バテレンついほうれい)を制定し、キリスト教を弾圧し始めた。その追放令の矛先は秀吉の家臣たちにも及び、官兵衛や高山にも及んだ。

第五章「強まるキリスト教弾圧」
「伴天連追放令」による弾圧は拍車がかかり、殉教者を生み出すこととなった。この弾圧の煽りもあっては茶道の創始者である千利休も切腹に処すこととなった。

第六章「それぞれの最期」
秀吉・官兵衛・高山のそれぞれの最期を取り上げているが、その一方で、キリシタン大名も江戸時代に向けて最期の時を迎えることとなった。

戦国時代におけるキリシタン大名の足跡は大きい。その認識を大きくしたのが高山右近の列福なのかも知れない。キリシタン大名の中でもその2人の足跡は戦国時代、さらには日本におけるキリスト教にも大きな影響を与えたのかも知れない。

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