おかみさん

先日の読書会で取り上げた1冊。
時に「昭和の爆笑王」と言われた初代林家三平の妻として、時に林家一門を支えた経営者として、時に九代目林家正蔵や二代目林家三平たちの母親として、時に戦災孤児の体験者として、一門や家族を支え続けた海老名香葉子氏の自伝である。

第一章「「妻」として」
林家三平の妻となったのは1952年のことである。しかし当時の三平は浮気や朝帰りが絶えず、破天荒生活の代名詞でもある「飲む・打つ・買う」を地で行くような存在であった。三平が朝帰りする度に、物を投げつけたりしたという。三平は家にお金を入れなかったことや著者一人で子育てをしていた苦労についてここで書かれている。

第二章「「おかみさん」になるまで」
おかみさんとなったのはこん平が弟子入りになってからのことである。この章ではそれぞれの弟子のエピソードについて書かれている。

第三章「孤児だった」
よく終戦記念日前後に著者が番組に出演して戦災孤児の話、戦争の話について語る。著者は東京大空襲により家族6人を失った。身寄りのなくなった著者は三代目三遊亭金馬に引き取られるまで親戚をたらい回しにされたという話まで書かれている。今生きている私にとっては到底考えられない話であったが、戦後間もない時まではそういった人がちらほらいたほどであり、寄席芸人の大御所としても知られる玉川スミは14歳までに13回親が変わったという逸話まである。

第四章「林家一門」
本書で一番強調されている部分だと思ったところである。
林家一門のおかみさんとして長年支えてきた。三平の死後、唯一の真打であったこん平が一門の師匠として、総領弟子として支えていくことになったのだが当時の教会の幹部でもそう言ったことに反対の人が多く、一門を解散し別の師匠の当ても模索していたほどであった。だがその意見もはねのけ三平一門はこん平を師匠となって一門を支えた。そうなった後の噺家たちや協会関係者からの冷たい風にさらされながらも必死で支え続けたこん平の強さを垣間見るところであった。
余談であるがこん平は一番弟子ではなく珍平という兄弟子がいたのだが俳優に転身したことにより総領弟子になった。

第五章「「母」として」
ここでは家族のことについて書かれている。もっぱら書かれているのは長男の九代目正蔵、二代目三平のことが中心であり、昨年話題となった泰葉についてはさらりと書かれているだけなのでそれ関連で知りたい人にはお勧めできない。

本来であれば「二代目林家三平」と書くのは時期尚早であり、「林家いっ平」と記述するべきだった。だが今年の春には「三平」を襲名することが正式に決まり、大名跡に負けないようファンの立場から頑張ってほしいというエールからこういった記述にした。三平一門の結束の強さ、そして総領弟子として必死に「三平一門」を守ってきたこん平が最も印象的だった一冊であった。