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日本史

戦国武将に学ぶ逆転人生 縁、誠意、忍耐、自重、したたかさ……乱世を生き抜く方法

人生には3つの「さか」があることは有名な話である。一つは上り坂、一つは下り坂、そしてもう一つが「まさか」である。 そしてその「さか」とも、状況や人の縁によって大きく変わる。それは現代においても、本書にて取り上げる戦国時代においても同じ事である。本書は戦国武将たちがそれぞれの人生や縁などで生き抜いた足跡を追っている。 「人」の章 「人の縁と誠意をもって開いた活路」 人の縁と誠意はそれによって人生を拓 […]

神々の復讐 人喰いヒグマたちの北海道開拓史

すでに時期は冬に入っており、熊を始め一部の動物は「冬眠」の時期に入り、ある意味落ち着いたシーズンと言える。それ以前までは特に出身地である北海道を中心にクマの出没情報が後を絶たなかった。襲われたといった話はほとんどなかったものの、先日、熊を飼っていた人が、その熊に襲われ、亡くなったという痛ましいニュースがあった。 熊に襲われて殺されるというニュースはホットなようでいて、大昔はいくつかあった。本書は特 […]

降伏の時 元釜石捕虜収容所長から孫への遺言

大東亜戦争が終戦し、今年の8月15日で77年を迎える。戦争を体験している方々が亡くなっていき、戦争を知るきっかけも資料などでしかわからなくなりつつもある。もちろん戦前・戦後に関しての史料は次々と出てきており、あの戦争は何だったのかは今も問われ続けている。 本書はかつて岩手県釜石市にあった「連合軍捕虜収容所」の所長として生き、終戦を迎え、戦犯として巣鴨プリズンにも収監し、釈放後は新聞記者として活躍し […]

明治日本はアメリカから何を学んだのか 米国留学生と『坂の上の雲』の時代

元々江戸時代における「鎖国」の時代は特に諸外国と一切関わりが無かったとは言えない。当時の「清王朝」だった中国大陸とオランダのみ交易が認められ、長崎の出島を玄関口に貿易などの交易が行われた。 しかし1853年、アメリカの蒸気機関船「ミシシッピ号」をはじめとした4隻の船が浦賀沖に来航した。それ以前にも琉球や小笠原に来航したが、特に幕末の始まりとして浦賀沖の来航が有名である。このときにペリーから開国に関 […]

東京大空襲の戦後史

大東亜戦争時、東京にて空襲を受けたのは1944年11月から、1945年8月15日の終戦までで100回以上空襲を受けたのだが、特に大きなものとして1945年3月にあった空襲が特に規模が大きく、次章以降でも述べるのだが、多くの民間人が10万人以上も命を奪ったとされ、「東京大空襲」の象徴的な部分として挙げられる。 なぜアメリカは東京大空襲を行ったのか、そしてその後の戦争被害と東京裁判などにおいて、どのよ […]

明治神宮 内と外から見た百年

毎年初詣客で賑わう明治神宮。例年であれば、大晦日から元日にかけて「終夜参拝」が行われていたのだが、一昨年の大晦日から昨年の元日は行われず、今回2年ぶりに「終夜参拝」が行われるようになった。オミクロン株の拡大の懸念もある中で多くの参拝客で賑わったという。 ニュースになったかどうかは不明だが一昨年の2020年11月に鎮座100年を迎え、「鎮座百年祭」が「静かに」行われた。元々明治神宮が都心でありながら […]

多様な子どもの近代 稼ぐ・貰われる・消費する年少者たち

「子ども」の扱いはもちろんのこと、境遇も時代と共に変わっていく。かつては丁稚奉公といったもので、学校での勉強をせずに働きに出て、社会そのものを学ぶと言ったことがあった。そのため働くこと以外での知識がなく、文字も読めないといった人も少なくなかった。 やがて時代は変わっていき、子どもを取り巻く環境も変わってきた。本書はその子どもにまつわる「近代史」を取り上げている。 第1章「「稼ぐ子ども」をめぐるポリ […]

国民義勇戦闘隊と学徒隊 隠蔽された「一億総特攻」の記録

大東亜戦争が終結して76年を迎える。この大東亜戦争の歴史は様々な思いが交錯し、なおかつ召集された人たちはもちろんのこと、普段から住み慣れたところから戦禍となり、疎開せざるを得なくなるといったこともあった。 そして本書は終戦間際に総力戦の象徴の一つとして「国民義勇隊」、後に「国民義勇戦闘隊」となったのだが、その変遷について取り上げている。 第一章「「本土決戦」と国民義勇隊の創設」 敗色濃厚の状態の中 […]

天正伊賀の乱-信長を本気にさせた伊賀衆の意地

戦国時代の真っ只中にあり、織田信長が天下を取らんとしている時期にあった。その時に起こった乱の一つとして本書で取り上げる「天正伊賀の乱」がある。しかしこの天正伊賀の乱は第三次まで起こったのだが、その顛末を取り上げている。 第一章「乱勃発前夜」 伊賀というと「忍者」を連想してしまうのだが、実際には国の一つとして伊賀国があった。しかし戦国武将は生まれていなかったため、国としての印象は薄かった。もっとも国 […]

大阪万博の戦後史―EXPO’70から2025年万博へ

先の話になるのだが、2025年に大阪万博が開催される。かつては1970年に開催されたのだが、55年の時を経て再び開催されるのだから、機運は高まるはずであった。しかし開催されだしたときはムードは高まっていったのだが、新型コロナウイルスや東京オリンピックなどにより、沈静化している印象がある。 また万博のロゴも発表され賛否両論があり、特にムックは「あれっ?わたくしかな?」とツイートしたことはあまりにも有 […]