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エッセイ

ガラスの50代

50代は遠いように見えて、あっという間にやってくる。かくいう私も今年で37歳になるのだが、13年は長いように見えて、実際に短く思える。そもそも50代となると、仕事を行っている方は総決算の時期にもなるのだが、様々な「節目」となる時代でもある。 中年から高齢になり始める時代である50代、それも女性の方々はどのような境遇を迎えるのか、本書は自ら50代としての体験だけでなく、読者アンケートを通して、50代 […]

愉快な青春が最高の復讐!

本書は「紀行文」と言うべきなのか、それとも「青春録」と言うべきなのかはわからない。しかし社会人の新人が、同期と一緒に全国津々浦々を旅した記録であることは間違いない。とはいえど、「旅する」と書いたのだが、日程や移動距離がかなり長く、なおかつ移動や宿泊、さらには会社員生活自体も私でも考えられないようなものだった。しかしあり得ないような旅行や生活を送ったものが記録となって残り、いつしかそれが「青春」とな […]

センス・オブ・シェイム 恥の感覚

アメリカの人類学者であるルース・ベネディクトが上梓された本の中に「菊と刀」という本がある。これは1946年、ちょうど大東亜戦争が終わって1年後に上梓されたもので、日本の文化についてを説明した一冊である。その中に日本には「恥の文化」と定義されたのが有名である。当ブログでも民俗学について取り上げているが、「恥の文化」についても別の本でいくつか取り上げたことがある。 それはさておき、日本人には恥の文化が […]

私は夕暮れ時に死ぬと決めている

世の中そう都合よく死ねるわけがねえ 本書のタイトルを初めて観たときにそう思った。もっともこの言葉は私が発したものではなく、五代目古今亭志ん生が三代目桂三木助に対して放った言葉である。三木助が最晩年にいよいよお別れと思って、志ん生を含め多くの人を集めて分かれようとしたのだが、死なず「どうも今日はだめだな」と三木助は怒り、集めた人を帰した。その時に志ん生が発したものである。 突然死ぬこともあれば、自分 […]

アラフォーになってようやく気づいたんだけど、私、たぶん向いてない。生きることに…… メンタル編

生きることには向き不向きはないと思っていたのだが、中には不向きだと思っている方もいる。現に本書の著者は40歳であり、二児の母である。義理の親と3世代で暮らしているのだが、苦しい毎日を送っていた。 そこで著者はTwitterでその日常を投稿したら、瞬く間にフォロワー数を伸ばし、2021年6月現在で97000フォロワーと100000に近づきつつある。 本書の著者は主婦であるが、自身も「うつ」になるとい […]

#スマホの奴隷をやめたくて

本書はスマホの奴隷になってから解放されるまでを描いたエッセイである。もっともスマホは当初1996年にノキアによって「電話機能付きPDA端末」として発売されたのが始まりとされていたが、2007年に初代iPhoneが発売された時から始まったのが一般的に通っている。 それから瞬く間に広がりを見せ、今となっては「携帯電話=スマホ」が一般の図式としてある。 しかしながらこの図式が弊害を持ってしまっている。特 […]

東京日記6 さよなら、ながいくん。

著者自身が20年以上にもわたってエッセイとして日記を描き続けていることに驚きがある。エッセイと言うよりも、普段の日記でも多くの人は三日坊主になることが多く、1年2年続けて良い方ではあるものの、なかなか続けられないといった実情がある。それを20年続けるとなると、根気もさることながら、続けるための気づきへのアンテナを持つことが大切になる。 おそらくこの20年以上続いている日記がナレッジバンクとなり、多 […]

コーヒーカップの耳 阪神沿線 喫茶店「輪」人情話

私自身喫茶店に行くことが良くあるのだが、たいがいは勉強などを行うためのことが多い。静かな雰囲気でありつつ、ちょっとした喧噪が集中力を生み出してくれる。もちろん色々な人との語らいを耳にする事がある。たいがいはネガティブな話なのだが、中には奇想天外な話もあり、小耳にはさみながら勉強しているため、そういった話が耳に残ってしまうこともしばしばある。 それらも全て喫茶店の楽しさの一つである。「一つ」と表現し […]

日本のヤバい女の子

女の子にも色々な人がいる。その「色々」の傾向自体は男の子のそれとは大きく異なるが。女の子の中には、同性から見ても「ヤバい」と思われてしまう女の子もいる。本書では、そのようなこの姿を取り上げている。 しかも本書で取り上げている女の子は全て古典、それも日本文学における登場人物である。もっとも「ヤバい」とひとえに言っても様々な種類であるのだが、突然いなくなる、キレる、人間をやめる、相手を殺す、理不尽にハ […]

たそがれてゆく子さん

人は誰しも老いて、やがて死ぬ。そんな当たり前なことなのに、なかなか受け入れない、あるいは受け入れたくない人も少なからずおり、かくいう私も時折そのような感情に陥ることがある。 人として老い、そして生きていく中での「別れ」をどのようにして接していくか、生きている人それぞれに課せられた課題なのかもしれない。もっともその課題には正解がなく、なおかつ追い求めながら老いていく姿がどうしても目に浮かぶ。 ただ「 […]