日本

恐山―死者のいる場所

青森県の下北半島には有名な山がある。その名も「恐山」であり、「イタコ」が礼を呼び寄せる、あるいは死者のいる山であるようなイメージが強くある。もっとも恐山はどのような山なのか、どのようにして「死者」のイメージを結びつかせるようなこととなったの...
書評

いとの森の家

福岡の団地で暮らしていた娘が父親のある「思い付き」で山々に囲まれた小さな村に住むようになったという。その住むところが「森の家」と呼ばれるところにあるのだが、その森の家の中では「おハルさん」と呼ばれる婆さんがいる。そのおハルさんは娘にとって特...
書評

骨風

本書のタイトルからして無骨な作品のイメージがあったのだが、実際に中身を見てみると短編集であり、表現もけっこうそぎ落としつつ、伝えるところは伝えられている作品である。しかしそれでいて繊細で、痛みや「死」といったことを向き合いながら、ひたむきに...
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書評

終の日までの

人は誰でも「死」を迎える。その「死」を迎えるに当たって、遺産をどうするか、葬式をどうするのかなど考える、いわゆる「終活」を行う方も出てきている。もちろん本屋に行くと、「エンディングノート」などの終活にまつわる本が色々とある。 本書は「終活」...
戯曲・詩

水の家族

本書は小説と言うよりも「叙情詩」の分類に入るのだが、「死」と「生」について「水」を媒介として映し出している一冊と言っても過言ではない。 死者の目線、生者の目線、その目線の先にある「現在」と「過去」が詩でもって表現されており、なおかつ日常と非...
哲学

老いに振り回されない生き方 養生訓に学ぶ

自分自身まだまだ年寄りというわけではないのだが、もうそろそろ30歳になる。30になれば、後は老年を迎えるまであっという間だと言うことを考えると、早いかもしれないが「老い」の事について考える必要がある。老いに振り回されず自由に生きるためにはど...
哲学

私とは何か――「個人」から「分人」へ

戦後から「個人」が尊重されて久しい。しかし個人主義は時として利己的になり、他人のことを敬うことがなくなってしまい、身勝手な事件や事柄が往々にして起こっている。 他にも「個人」と言うことが問われるようになった時、「私の存在」といった自分自身を...
書評

揺れ惑いおり、妻逝きて

「妻を自宅で看取る」という選択は現在、珍しい物でもない。いわゆる「在宅死」という類だが、以前にも「地域・施設で死を看取るとき」という本で取り上げたので、「在宅死」に関する詳しい解説は省略する。 「在宅死」の概念は現代社会にも浸透しているが、...
書評

弔い論

「弔い」とはいったいなんなのだろうか。調べてみると、 「1.人の死を悲しみいたむこと。  2.送葬。葬式。のべのおくり。  3.法事。追善。」(「広辞苑 第六版」より) とある。つまり亡くなられた方への追悼の意味をなしている。「死」と「生」...
コミュニケーション

日本人はなぜ「さようなら」と別れるのか

「別れ言葉」というのがある。その「別れ言葉」のは「また会いましょう」や「お元気で」の他に、日本語には「さようなら」が存在する。「さようなら」の語源は「さらば(去らば)」という接続詞からきている。本書はその「さようなら」の成り立ちの歴史につい...
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