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宗教

最後の審判-終末思想で読み解くキリスト教

ミケランジェロ・ブオナローティの代表的な絵画に「最後の審判」がある。現在はバチカン市国にあるバチカン宮殿のシスティーナ礼拝堂の祭壇に描かれている。この「最後の審判」はキリスト教における「終末論」の考えにあり、「怒りの日」と同義に扱われている。 もっとも「最後の審判」の考え方はキリスト教のみならずユダヤ教・イスラム教・ゾロアスター教にも同様の考え方があるのだが、本書はあくまでキリスト教における「最後 […]

教養として学んでおきたい聖書

世界でもっとも読まれている本は「聖書」である。聖書の違いによるのだが、ユダヤ教、およびキリスト教の「教典」としてある聖書は、ビジネスの世界でも活かすヒントにもなり、「聖書」に関するビジネス書もいくつか出ている。 もっとも聖書には旧約・新約とあり、それぞれ書かれている内容も異なってくる。本書は「教養」の観点から「聖書」とはどのような本か、そして世界にどのような影響を及ぼしたのかを紐解いている。 第1 […]

無(最高の状態)

メンタルの所で、色々な事があると、壊れてしまったり、不安定になってしまったり吸うことが往々にしてある。そこから脱するための方法は様々であるが、その中でも不安や心配を解消するために「無」になることを本書では説いている。よく仏教の世界でも「無我の境地」があるなど「無」に関してはネガティブのように見えて、ある種の「悟り」に近い要素を秘めている。またその「無」こそが、情報過多の時代において、最高の状態であ […]

明日、世界がこのままだったら

もしも「生」と「死」の間に「狭間」と呼ばれる世界があり、その世界の中に放り込まれたとしたらあなたはどうするか。生と死の狭間というとけっこう哲学・宗教的な観点から議論が絶えず、本当にそれを見たのかどうか出さえも発言する人によって分かれる。ただでさえ存在する・しないと言う議論も絶えないのだが、おそらく結論すら出てこないと言うほかない。 さて本書はその狭間で男女2人だけになった時に、独特の静寂の中でどう […]

恋愛制度、束縛の2500年史 古代ギリシャ・ローマから現代日本まで

現在の日本で恋愛制度といった法律は存在せず、あったとしても「結婚」に関して民法に定められた制度がある。そう考えると「制度」というのは存在しないのだが、宗教的な概念、あるいは文化的な概念から、暗に「制度」と言うような形にしているとも考えられる。一般的な「恋愛」は万国共通、と言いたいところだが、国や時代によって、恋愛の形は異なってくる。本書は古代から中世、さらには日本や欧州など、様々なケースで持っての […]

AIを信じるか、神(アッラー)を信じるか

AIの進化は著しく、よくSF作品に出てくるような人間とロボットとの大戦(ジハード)が行われるのではないか、というような事が起こるのではないかという、あたかも妄言のような主張まである。技術と宗教、共通性がないように見えて、AIの技術の進化は止まらず、宗教や政治の部分にまで及ぶかもしれないとあるのが本書の話としてある。本書はAIを神と見なすのか、そして宗教にある「神」を信じるのか、さらにAIを通して国 […]

1時間でわかるアイヌの文化と歴史

今年の7月12日に、北海道白老町にて「民族共生象徴空間(通称:ウポポイ)」が開業した。アイヌの神話・歴史と、文化や出来事など、アイヌにまつわることが数多く展示されている。また共生公園などが存在するなど、アイヌ文化を学ぶだけでない役割も担っている。またこの開業の3ヶ月後にはアニメ「ゴールデンカムイ」の第3期の放送が開始された。 アイヌ民族を始め、アイヌ文化を学ぶ機会はドンドンと増え始めている。本書も […]

科学者はなぜ神を信じるのか コペルニクスからホーキングまで

「科学」と「神学」、相反するように見えて、実は時代によって密接に関わってきたところがある。その理由の一つに中世~近世までの科学はキリスト教の影響を強く受けており、特に有名なところでは本章でも取り上げているガリレオなどが異端審問の裁判にかけられるほどだった。しかし神と科学、そこにはどのような関係があったのか、著名な科学者たちの足跡をもとに取り上げている。 第1章「神とはなにか、聖書とはなにか」 科学 […]

梅棹忠夫の「日本人の宗教」

梅棹忠夫と言えば、民族学者である一方「知的生産の技術」と呼ばれる名著を残し、情報整理法について大きな足跡を残した。特に今も扱われている「京大式カード」は梅棹が広めたとも言われている。民族学や情報学における「フィールドワーク」を使う際に扱われたのだが、私自身も大学受験や大学での研究の中でどれだけ使ったか分からないくらい、お世話になったことを覚えている。 その梅棹忠夫は今年生誕100年を迎える。多くの […]

西洋人の「無神論」日本人の「無宗教」

本書は宗教観の一冊であるのだが、西洋と日本というと、文化も異なれど、宗教のあり方についても、大きく異なる。西洋ではキリスト教が中心である一方で、最近では「無神論」も出てきている。一方で日本は仏教や神道が中心となり、特に神道では「八百万の神」がいるといった多神教が中心となる。ただ、日本は宗教を宗教として扱うよりも、文化や自然として扱っており、宗教と扱っていない。そのためか「無宗教」と答える人も少なく […]