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批評

現代スポーツ批評ースポーツの「あたりまえ」を問い直す

スポーツは今も昔もあるのだが、現代のスポーツでは競技の数だけの「基準」が存在する。その基準自体は細かい部分で年々変わってくる事は良くある話であるのだが、スポーツに関わる中には参加そのものに意味を見出すこと、競技を全うすることに意味を見出すこと、あるいは勝利をすることに意味を見出すことなど、意見は様々である。元々現代における「スポーツ批評」の現場もまた論者によって意見が分かれる。本書はそのスポーツ批 […]

はじめての批評 ──勇気を出して主張するための文章術

今まさに当ブログでは本の批評を行っている。もうかれこれ12年行っているのだが、批評をすることの難しさと面白さの両方を味わいながら、今日もまた行っている所存であり、なおかつ新たな発見を見出している。 ブログに限らず、SNSなど批評をするツールが数多くある。その批評もまた一つの芸であり、私自身一生磨き上げたいと考えている。そんな私でも批評とは何か分からなくなる時があり、もっと言うと批評そのものをしたこ […]

黙読の山

「批評とは何か?」「書評とは何か?」 その答えはまだまだわからない。もしかしたら一生その答えを見つけに、本を通じて旅に出るという形なのかもしれない。他の方はどう答えるかわからないが、私だったらそう答える。 本書は現代史作家のエッセイ集であるが、本をはじめとした様々なことについて「批評」をしながらまとめたエッセイ集と言える。 様々な文学作品を一冊紹介していくようなものではなく、むしろエッセイの中に作 […]

「分かりやすさ」の罠―アイロニカルな批評宣言

「分かりやすい」 人はこういったものを好む傾向があるのかもしれない。特に文章は読み手の側に立って「分かりやすい文章」というのが重要であるといわれている。 ビジネスにおいて「わかりやすい」というのは相手にとってもメリット・リスクや論点が明確になる上では良いことかもしれない。 しかし「分かりやすい」というのは本当にいいことなのだろうかということをよく考える。「簡単にわかる」という点であればこれほど便利 […]

書評の思想

私は「蔵前トラック」「蔵前トラックⅡ」の2つのブログにおいて、約700冊近く書評を行ってきた。 いろいろ思うことで、 「書評はどうして生まれたのか」 「書評は何のためにあるのか」 「もしも書評がなかったとしたらどうなるのか」 という問いは、書評を書いている途中に時々考えてしまうことである。 書評の起源は新聞や評論と同じく18世紀イギリスのコーヒーハウスと考えられる。コーヒーハウスに通う人々が様々な […]