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落語家

その落語家、住所不定。タンスはアマゾン、家のない生き方

泥棒しろ、ただし、俺の家は駄目だぞWikipediaより抜粋 これは著者の大師匠である七代目立川談志が弟子に対して言った言葉である。もっとも噺家はまっとうな仕事・発言などを行ってはならず、なおかつまともな生き方をするなということを意図して発言したのかも知れない。 そう考えるのであれば、その発言に対して忠実に行った孫弟子が本書の著者と言えるのかも知れない。 著者は噺家としては珍しい家を持たない。もっ […]

プロの尼さん―落語家・まるこの仏道修行

本書で取り上げる落語家は「尼さんであり落語家である」方であるが、仏門に入った落語家は存命している落語家の中では三代目三遊亭円歌が挙げられる。そう考えると仏門に入った落語家はいないわけではないのだが、非常に珍しい。もっと言うと今でこそ女性の落語家は出てきているのだが、上方でも三代目桂あやめをはじめ数人しかおらず、こちらの面でも珍しい。 話を戻す。そもそも著者はなぜ落語家になり、それでいて仏門に入った […]

藝、これ一生―米朝よもやま噺

落語界史上2人目の人間国宝で、上方落語における「中興の祖」の一人だった三代目桂米朝が今年の3月19日に逝去された。はんなりとした語りのなかで描かれる落語が非常に面白く、数多くの落語を掘り起こし、さらには多くの弟子を育て上げ、上方落語の復興に身を捧げたと言っても過言ではない。 桂米朝が晩年、自らの芸、弟子、上方落語のこれまでとこれからについて「聞き書き」という形で残したのが本書である。 <看板、一枚 […]

チャランポラン闘病記――多発性硬化症との泣き笑い2000日

私は小さい頃から「笑点」という番組が好きだった。記憶に残っているものでもっとも古いものは確か23年前だったか、ちょうど司会が今は亡き五代目三遊亭円楽師匠であり、当時の回答者には七代目桂才賀師匠がいた時であった。なかでも子供の頃からファンだったのが「林家こん平」師匠である。しかしそのこん平師匠も2004年8月を最後にレギュラー出演から外れた。最近出演されたのは円楽師匠が逝去して間もない時だったか。 […]

ろんだいえん―21世紀落語論

もはや落語界ではアンダーグラウンドの論争の様相を見せている「円生後継問題」。円生襲名に名乗りを挙げたのは三人。一人は円生の弟子の六代目三遊亭円窓、一人は五代目円楽の一番弟子の三遊亭鳳楽、そして円生最後の直弟子である三遊亭円丈である。 前の二人は本格的な古典派である一方(円窓は五百噺など創作落語にも力を入れていることも付け加えておく)、円丈は徹底した新作派として有名であり、現在売れている春風亭昇太や […]

円楽、親父を叱る―自信を取り戻す父親のゲンコツ教育

昨年10月に亡くなられた五代目三遊亭円楽師匠。円楽師匠の最新作と言えば「円楽 芸談 しゃれ噺」があり、昨年書評いたしました。 今回紹介するのは今から34年も前に教育について円楽師匠自らが主張した一冊です。amazonでもあまり手に入らない作品ですが、よく行く図書館でたまたま見かけたので手に取りました。 円楽師匠の思想は、どちらかというと保守であり、「笑点」の番組内でも憲法改正やサマータイム制の導入 […]

父の背中―拙者のハンセイ

2009年3月21日に林家いっ平が「二代目林家三平(以下:二代目三平)」を襲名した。本書はそれより少し前に出版された二代目三平自身の自伝であるが、海老名家と言えば先々代の正蔵(七代目林家正蔵)や初代林家三平の功績により裕福な家庭として育ったおぼっちゃまというイメージが先行するのだが、やはり噺家の道はしっかりと進んでいた、と思わせる人生であったとそう考えさせられる。 <遠い日に> <父の手> <父が […]

平成落語論─12人の笑える男

今月8日に林家いっ平が「二代目林家三平」を襲名した。1980年に初代三平が急逝して、約28年もの間空位となったこの「三平」の名前が復活する。ちなみに初代三平はご存じのとおり「どうもすいません」「体だけは大事にしてくださいよ」という名セリフがあるが、二代目はそれよりも古典落語に比重を置いているという。私自身落語は聞くが二代目三平の落語はまだ一度も聞いたことがないのでどういった落語かというのは説明でき […]

おかみさん

先日の読書会で取り上げた1冊。 時に「昭和の爆笑王」と言われた初代林家三平の妻として、時に林家一門を支えた経営者として、時に九代目林家正蔵や二代目林家三平たちの母親として、時に戦災孤児の体験者として、一門や家族を支え続けた海老名香葉子氏の自伝である。 第一章「「妻」として」 林家三平の妻となったのは1952年のことである。しかし当時の三平は浮気や朝帰りが絶えず、破天荒生活の代名詞でもある「飲む・打 […]

子米朝

今年の10月に桂小米朝が五代目桂米團治を襲名した。五代目米團治の師匠はご存じ人間国宝であり、父である三代目桂米朝。米朝の師匠は四代目桂米團治、つまり米朝の師匠の名を自分が継ぐという形になったのである。当然戦後の上方落語の草分け的存在であったということから大名跡である。これから五代目米團治はそのプレッシャーと戦わなければいけなかったが、米團治が小米朝だった時代でも人間国宝を父に持つ噺家として、七光的 […]