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道徳

「道徳教育」のベクトルを変える

戦前は「修身」という授業があったのだが、それ大東亜戦争後は「道徳」に取って代わった。しかしながら、道徳はどのようにして設置されたのか、そして評価はどのようにして行われるのか、その背景と問題点などについて取り上げているのが本書である。 第一章「道徳科設置の背景」 「道徳」の授業ができたのは1950年代、いわゆる「逆コース」と呼ばれる時代であった。その背景にはどのようなことがあり、なおかつ教科書ができ […]

モラルの起源――実験社会科学からの問い

モラルと言うと、人間にしかないように思えるのだが、他にも動物にも動物なりの「モラル」があるという。そもそも「モラル」と言っても道徳的な観点で良く語られるのだが、もっとも「道徳」を英語に直すと「moral」とある。そのモラルはどうして生まれたのか、そしてどのようにして社会に浸透してったのか、「実験社会科学」と呼ばれる観点から紐解いている。 第1章「「適応」する心」 人間が生き残るために様々な「適応」 […]

「徳」の教育論

戦前の日本の教育には「修身」の授業があった。日本人とは何か、礼儀作法とは何かといった日本人として生きていくうえで大切なことを学ぶものだったが、大東亜戦争後は「道徳」という科目に取って代わった。その道徳は人間としての在り方、モラルの在り方を学ぶような科目の印象だが、そもそも道徳の本質とは何か、具体的に何を教えていくのか、不明点が多かったと言える。そのような中で道徳はどうあるべきなのか教育論の観点から […]

「共倒れ」社会を超えて―生の無条件の肯定へ!

今の世の中は「生きづらい」と言われている。それはどういうものなのかというと、小さな綻びや不正をあたかも大事のように叫び、萎縮してしまったことから起こったものである。その生きづらさにより双方追い詰められてしまい、「共倒れ」の状況に陥ってしまう。 その「生きづらい社会」、そして「共倒れ」と呼ばれる社会からいかにして脱していけばよいのか、本書では倫理学の観点からひも解いている。もちろん倫理学は哲学に近く […]

センス入門

「センス」と言っても、ちょうど今夏頃にあおぐものではない。言うまでもないのだが、「絵」や「音楽」「舞踊」などの「美しさ」などを決める、もしくは選ぶ基準のことを指す。「センス」を直訳すると「感性」と定義されるのだが、それをどのようにして磨くのか、自分自身も含めて明確な正解は「無い」と考えていた。 しかし、センスにも磨くために最低限必要な事が存在している。その入門と言えるのが本書であり、最低限の事を身 […]

思想としての道徳・修養

今、日本では「人間として生きる道」「モラリズム」を学ぶ機会として小中学校で「道徳教育」がある。その道徳教育が今の社会に生きているかというと、生きていない部分の方が多いように思えてならない。その大きな理由として「エゴイズム」の強大化が挙げられている。事例としては「モンスターペアレント」や「殺傷事件」、最近では「Twitterでの非常識写真投稿」などが挙げられる。子どもたちが悪い部分もあるのだが、その […]

「日本のこころ」の底ぢから

日本人としての心というと皆さんは何を思い浮かべるだろうか。 「礼儀正しさ」「武士道」「大和魂」、女性であれば「大和撫子」を連想するだろう。 かつては礼儀作法や日本人としての在り方を学ぶ「修身」という授業があり国語や数学と同じように必須科目であり、重要科目であった。しかし、それが軍国教育の一環とGHQに見なされ、終戦と同時に廃止となってしまった。今では「道徳」がそれに代わるものとなっているが、もはや […]