アメリカに問う大東亜戦争の責任

「私は決して戦争を美化する気は微塵もない」

書評を行う前にこれだけは言っておきたい。しかし戦争にまつわることで様々なことをばっさばっさと切っていくつもりである。さて、本書は大東亜戦争にまつわるアメリカの責任論である。前のブログの時に戦犯について書かれていたくだりがあったのだが繰り返して述べる。

もしちゃんと法規通りに戦犯を裁いていたのであれば、なぜアメリカの軍隊でC級戦犯に値する罪を犯した兵隊(広島・長崎に原爆を投下した兵士と開発した学者らも含む)がいるのにもかかわらずなぜ裁かれなかったのか。そしてアメリカはなぜこの戦争で醜態をさらしたのにもかかわらずそれをあいも変わらずに美化し続けようとするのか。

都合の悪いところはたたき、ときには否定をし、歴史認識を大きく歪曲している。本書はそれらをしっかりと論じているところに感銘を受けた。アメリカ政府(アメリカ人の中にも正しい歴史認識を持とうといういい人はいるんだけどねぇ)とくにアメリカ民主党はこれを読んで戦争認識を反省すべきである。

コメント

  1. 本の歴史 04182008

     日本の近代史において、関係国の一次史料が公開されはじめたと何度も紹介している。日本の歴史研究者、歴史学者は米国の史料をあたることはあっても従来は、国内の歴史資料ばかりを対象とすることがほとんどであった。冷戦終結で旧・ソ連の史料が英国の情報機関へ流出というか、旧指導者の金銭を伴う提供だと想像できるが、「ミトローヒン文書」や「ヴェノナ文書」等がある。
     これを基にした書籍、日本では未訳のアレキサンドル・コルバキディ他共著『GRU帝国』や、これは読んでいるが、ユン・チアン他著『マオ 誰も知ら……

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