悩む力

「悩む」ことは重要なことである。本書では夏目漱石やマックス・ウェーバーを中心にして「悩む」ことを展開しているが。私自身「悩む力」は上記にデカルトが入ると思う。デカルトというと「我思う故に我あり」というのが有名である。懐疑論として有名であるデカルト、物事を疑いながらかかっており、その中で本当の答えが何なのかと悩んだとしても知られている。あくまで私見であるが。

まず第1章は「私とは何者か」であるが、これは永遠の課題である。しかし様々な本や旅を通してどのような人かというよりも「どのように生きていけばいいのか」という道標になる。それにこれほど「個」「私」が大事になってしまったのだろうかと考えてしまう。しかし働く時には「個」や「私」は大事にしないほうがいい、個性が強ければ強いほどである。台湾元総統である李登輝は自我が強かったが「国」のために「私」を捨てた政治家として有名である。それによって台湾民主化に向けて尽力を行った。

第2章は「金」についてである。「金は天下の回りもの」という諺はある。当然生きていく上で金というのは必要ではあるが、しかし持ちすぎることによって金銭的、もしくは理性的自立を失ってしまうのではないのかと考えてしまう。それを考えると私の持論であるが「金=悪魔」という等式が成り立つ。そして金以外にも「齢(年をとること)」についても言及している。日本は超高齢社会にますます近づいている。

しかしその反面「暴走老人」の如く自己中心的な老人が増えていることも事実である。その要因は労働により忙殺されたことによる余暇の取り方がわからなくなってしまったこと、核家族化などによることが要因ではないだろうか。

第3章は「知」についてである。私も本を通して知識を蓄えているがクイズでたくさん正解することがすべてではない。知識を得ることは決して悪ではないものの持ち腐れになってしまうと無駄となってしまう。知識を得た後何を為すべきか、ということを考えないといけない。もしくは知識を行動によって血肉と化すことも一つの手段といえるのではないだろうか。

第4章は「青春」である。「青春」のイメージだと中・高生が部活動で輝く姿であるが、実際の青春はそうではない。当然悩み続けることも地味ながら青春であり、また年老いても自分が求めることに躍起になっている人も青春といえるだろう。

大きく飛ばして最後の「最強の「老人」たれ」。老人力という本はあるが著者は老人力とは「攪乱する力」としている。「老害政治」といった本も出されているように政治や経済に関しても老人や外国人が中心に動いているといってもいいかもしれない。そう考えると老人は原動力だという考えもあるが逆に振り回されるとそういった「攪乱する力」が表れるのではないだろうか。

「悩む力」は後々の大きな力となるが、立ち止まりすぎても仕方がない。悩みながらも歩を進めていかないと人生はやっていけないと私は思う。