競争しても学力行き止まり

昨年の4月に43年ぶりに「全国学力テスト」が再開された。学力の競争原理を身に付けさせるという目的で行っている。私はそれについては複雑な立場である。競争原理は必要不可欠であるが、それによって落ちこぼれをどうすればいいのか、そして学力格差で下に追いやられた学校はどのような立場はどうなるのかという心配もある。ちなみにこのような教育方法はイギリス型教育モデルであるという。

本書はいま日本が行っているイギリスの教育モデルの失敗を交えながら、フィンランド教育の良さをアピールしている。フィンランドは昨今の国際学力テストで1位となった国である。そこではどのような教育をされているのかも興味深い。

イギリスでも学力テストによる成果主義体系によるもので支えてきたが、成果主義に走るあまり学校側の成績水増しなどによる不正や学力ばかりが注視され学校としての在り方が崩れてしまった。それによりイギリスでは年間12万人が基礎学力なしに学校を卒業したとも言われている。それだけではないのだがイギリスの教育モデルはすでに破たんしていると著者は主張している。

さてフィンランドでは何をやっているのかというとテストはほとんど行わず、お互いにわかるまで授業を行うスタイルをとっている。いわゆる「新自由主義」である。それにより誰もが平等に、そして高い学力を持って社会に出ることができるという。

日本は確かに学力低下が叫ばれている。ついこの前までは学力は世界一といわれていた国がだ。なぜそうなってしまったのかということで先に槍玉をあげられるのが「ゆとり教育」である。「ゆとり教育」は私も所々で批判してきた。しかし「ゆとり教育」の根本を見直すと、学習内容を減らせということではなく、ディスカッションによってさまざまな討論を行い、それによって何倍も知識を増やしていこうということである。

確かに日本人は今も昔も変わらないが討論力・交渉力に弱い部分がある。それを両方補おうということで「ゆとり教育」が提唱された。しかしこの計画はほかの完了の骨抜きによって破綻したと言いざるを得ない。もしこの教育スタイルがうまく回っていたならば、日本はフィンランドに匹敵する、いや、凌ぐほどの学力になっていたのだろうかとがんが得てしまう。だが日本人は勤勉な民族性であるから詰め込み教育にまい進したほうがいいのだろうかという考えも捨てきれない。

今日の教育は今迷走状態といってもいい。その中で日本の教育スタイルというのはどのような形であればいいのかというのが問われている時代とも言える。フィンランド型の教育が日本に合うのか、それとも破綻してしまったイギリス教育が日本では成功するのだろうか。やってみなければわからない。これが実情と言えよう。