中国地球人類の難題

本書の著者は「逆説の日本史」で知られる井沢元彦氏。その井沢氏がこれほどまでに中国を批判、そして靖国神社の逆説だけではなく、中国はなぜ反日になったのかということを元中国共産主義青年団の鳴霞氏との対話で明らかにし、とどめは台湾問題で台湾元総統の李登輝氏との対談を載せている。単なる中国批判と言うと大間違いであり中国を批判しながらも、台湾に目を向けているだけでもすごいというしか言いようがない。書評をやる私でさえこれほど唸る1冊はない。

さて第1章ではすでに終わった北京オリンピックについて書かれている。実際に開会式をボイコットした国はいくつかあるようだが、媚中の首相は開会式には出た模様である。著者も石原都知事の見解と同じくこの北京オリンピックはヒトラーを掲揚したベルリンオリンピックと同じであると。

そしてその北京オリンピックをやるにあたってチベットやウイグルの人たちの虐殺をやめろということを著者だけではなく多くの論客が再三言ってきている。しかし北京オリンピックは開かれ、しかもその期間中にはダライ・ラマ十四世猊下の会見によるとチベット人143人が虐殺されるということも起っている。

一応終わったのだがこれを野放しにしていた中国当局、そしてそれを見過ごしていたIOCの責任は大きい。IOCは中国の環境問題と人権問題に憂慮していくつか条件を突きつけてきたのだが、それについてやると明言してもやらないのが中国共産党のあくどい所である。しかし中国の悪口を言うのは良いが、だから中国は嫌いだ、なくなってしまえというのは暴論であると著者は断じている。私もそう思う。

中国がこのようになったほとんどの原因は中国共産党にある。共産党がなくなり、反日を唱えるような洗脳教育がなくなれば、中国に対して見直せる機会になれると私は思う。ただ反日運動を続ける理由というのも中国側にはあり、中国共産党の中でも3つの派閥の争いがあるという。これは「中国問題の内幕」で詳しく書いてあるのでそこで参照するといいだろう。

ちなみに第1章の終りにはワシントンで「北京五輪反対」の急先鋒となったトム・ラントス氏、トム・タンクレド氏との対談に加え、昨年話題となった「慰安婦決議」。本書はそれの撤回要請書が盛り込まれている。この内容については残念ながら「全くその通り。全て共感」と言いざるを得ない。そう考えると日系三世であるマイク・ホンダはどういう神経で書いていたのだろうか。

第2章はその中国共産党に媚びる者たちへの批判について書かれている。中国に媚びるというと福田首相をはじめとした自民党リベラル、社民党・共産党の左翼勢力などがいる。私は中国共産党のことを蛇蝎のごとく嫌っているのでそれには当たらないが。著者がYKKや大橋巨泉を名指しで批判しているところはなかなかに面白かった。本書ではこういうことが書かれている。

「もちろん悪いのは中国共産党であって、一般の中国人はむしろ被害者かもしれない」

確かにその通りかもしれない。というのは中国は何回も王朝が変わってはその圧政の中で一般国民はひどい扱いを受けてきた。またその王朝に沿った洗脳教育まで受けてきた。民衆レベルで考えれば中国というのはいい国、いい民族かもしれない。それの証拠となったのが満州・台湾への移民である。

戦前日本は台湾を植民地として、満州を独立国として多大な投資を行った。それまで台湾も満州も多くの民族が住んでおり、力でもって支配してきたと言ってもいいほどであった。しかし日本はそれを排除する代わりにインフラなどの整備に多くの金をつぎ込み治安は非常に良くなった。それを目指して満州へは約百万人もの移民が殺到したというエピソードも残っている。しかし私はまた日本が中国を支配しろとはいっていない。

中国人はもともとのアイデンティティで反日を植えつけられたわけではない。国家がそうさせてきた。国家が変わって反日をやめ、正しい歴史観や思想教育が施されれば中国というのは捨てがたい国となる。要は上層部の思想であろうか。

第3章は靖国問題である。これは1980年代に中曽根内閣の時からくすぶり始めていた。それまではA級戦犯合祀のために参拝するなというのは言われなかったし、もっと言うならば福田首相の父である福田赳夫も何度か靖国参拝を行っていた。なぜA級戦犯合祀のために参拝をやめろというのかという神経がよくわからない。

そうであるならば岸信介を首相にするなとか、重光葵を外相にするななどという運動が起こるはずなのに。それに死者(英霊)を慰霊して何が悪いといいたい。犯罪者であろうとも死者を慰めるというのは日本の風習である。死者になっていても辱めるような風習を行っている国が批判するというのは失礼千万と言いざるを得ない。

最後には李登輝台湾元総統との対談である。ちょうど本書が発売されたときは李前総統が「180度転向する」という記事が出ていた時である。それについても言及していたが、何よりも日本の未来について、そして日本の首相(当時は安倍元首相の時)についても参事をしながら苦言を呈しているところはまさに李元総統というべきだろう。台湾を愛し、そして日本を愛する心があってこそこういった叱咤も清々しく思えてならない。