ニッポン経済の「ここ」が危ない!

現在の日本経済は後退の一途をたどっているが、これに関する問題点について書かれている。第1章は構造改革による格差についてだが著者の竹中氏は格差問題については海外に比べて格差はないのにもかかわらず格差に過剰に反応しすぎである、さらにこういう格差になった理由は構造改革ではなく経済のグローバル化によるものであるといって斬り捨てている。

グローバル化も一つの要因であり、構造改革による功罪だけが要因ではないというのは賛同できる。構造改革による経済の成長、そして行き過ぎた企業のコストダウン、そして法人税の減税によって実感無き好景気と格差が生まれたのではないかと私は思う。

後半では日本における新しい経済政策を竹中氏なりの持論を展開している。文化・観光ビジネスに関しては賛成の立場ではあるが、それによって経済は活性化するのかということには疑問が生じている。むしろそれを打ち出せないほど経済的に硬直化しているのではと私は思う。日本の経済は様々なことに手を出していた、特に観光事業にて「大観光法」というような法律までつくって観光立国化しようとしていた。

ちなみにこれ自体バラマキ政策の一つではないのかという指摘もあり、現にそれで経済的に発展したのかというと口が裂けても言えない。効果が表れ始める時期にはバブル崩壊が起こりそれにより当初予想していた経済効果が雲散霧消と消え結局それに賛同した地方自治体の借金が雪だるま情に膨れ上がったというのは言うまでもない。

それによってもう1回ビジネスを行おうと考えると本格的に民間でやってそれを補助していくという以外、官主導では信頼できなくなってしまう。もう1回その過ちを繰り返されればいよいよ地方自治体のみならず日本国の破綻だって見えてくる。

最後に自分の胸元に突き刺されるような部分があった。

「育てる批評家がいない」「昨今を貶す批評家が多い」

なかなか鋭い発言である。昨今の新聞やニュースに関して政治や経済に関することで政治家への罵詈雑言というのが後を絶たない。私でもそういう批判を頻発している。しかし批判をするのはいいが、「ではどうすればいいのか?」というのが見えてこなければ野次に等しい。そして日本は救いようのない国だということになってしまう。

日本を良くしていきたいことを言う気持ちはあるが批判だけではそういう熱意というのは伝わってこない。自分だったらこうしたらいいという風穴をつくるような論客が日本にいるのだろうかというと少ないように思える。そういう批評家が多くなれば確かに日本をよくするためにも一つのカンフル剤とも言えるし、それに私たちにも考えさせることのできる手助けになる論客が増えればいいと私は思う。

批判したうえで「ではどうすればいいのか?」というのが日本をよくする一つのフレーズではなかろうか。

いよいよ麻生内閣の船出が始まるが、首相をはじめとした閣僚は低迷しつつある経済政策をどう盛り上げていくのだろうか注目である。それと同時に解散総選挙はいつになるのだろうかというのも見定めなくてはいけない(もうそろそろかもしれないが)。