日本ナショナリズムの解読

最近ネットではナショナリズムのようなことが叫ばれるが、そもそも日本のナショナリズムは一体何なのかというと確かに考えさせられる。もっと言うと「ナショナリズム」とは一体何なのかという問いにも行き着く。簡単にいえばナショナリズムは「民族主義」である。

そういうと日本におけるナショナリズムというのは「日本人としてのアイデンティティを尊重し、他の民族性を排除する」という考えであるが。実際日本人の宗教性から考えると他を排除する風潮があるのだろうかという疑問がある。キリスト教やイスラム教は他の宗教を排除する考えを持つところが多いようだが日本は神道主義でそれ以外の宗教を排除するという考えはあまりない。

それを考えたうえで日本のナショナリズムを読み解こうというのが本書である。全部で10章からなるが全部紹介するとかなり長くなってしまうのでいくつか紹介するだけにしておく。

まずは第2章「「日本語(やまとことば)」の理念とその創出」である。まず飛び込んでくるのが2つの言葉であるがどれも本居宣長の作品である。短いものを1つだけ紹介する。

「あやにかしこき遠皇祖之神(とうすめろぎのかみ)の御代の雅言」(本居宣長「新刻古事記之端文」より)

古くから形成されそれが変容しながら今の日本語として進化を遂げたのだろう。日本語はまさに神から頂いた美しい言葉でありそれを何代にも変容しながらも受け継がれているという。本居宣長がこの日本語の語源について「古事記」の研究によって明らかにしているが、その後いくつかの諸説があるためそれが確証となるにはまだまだ時間がかかるだろう。

次に第6章「「日本民族」概念のアルケオロジー」である。
題目から出ているが「アルケオロジー」とは一体何なのか。「アルケー」と部分に分ければ少しは解るかもしれない。「アルケー」というのは哲学用語で「根源」を指す。したがってアルケオロジーは「根源になったもの」というのが私なりの推測である。実際にgoogle で探しても意味は見つからないので直接百科事典などで調べたほうがいいかもしれない。

「日本民族の根源」とは一体何なのかを考察しているのがこの章である。「日本民族」の概念ができたのはそれほど昔ではない。明治40年に創刊された雑誌「日本及日本人」によって日本人とは、日本とは一体何かというのが論じ始めてから日本民族としての学問が始まった。もっとさかのぼると1853年、ペリーが乗っていた黒船4隻が浦賀沖にやってきたときに日本の鎖国時代は終わった。それまでは日本人とは一体何なのかということを議論したり、論じたりする意義が見当たらなかった。

世界に目を向けずとも国は栄え、民も生活できたのである。しかし欧米列強の足音が聞こえ始めたころから日本人は一体何なのかという議論が芽生え始めた。そして本格的に論じ始めたのが前述の雑誌の前身「日本人(明治21年創刊、わずか7年で廃刊)」本格的に議論されるようになった後は柳田國男の民俗学などにより、日本人が学術的に形成されていった。当然日本語論と共に1945年に本来の日本の文明が崩壊した。

これからの日本人は一体どうあるべきか、そして日本はどうあるべきかについて再考しなくてはならないのと同時に、本書に書いてあるとおり「戦後ナショナリズムの批判的解読」も必要な課題である。