日本を教育した人々

表題からして何か釈然としない感じがする。今の日本を育て上げた外国人は誰なのかを言っているのだろうか。あるいはGHQのように日本を占領下に至らしめて再教育した人たちを挙げているのかという疑問がある。と言うことは寺子屋などの日本独自の教育はこれは海外から入ってきたものなのだろうかという考えさえも起きる。

しかし本書を読んでその考えはどこかに飛んで行ってしまった。本書は「日本を教育した人々」となっているが「日本の教育を形成した4人」について書かれている。その4人は吉田松陰、福沢諭吉、夏目漱石、そして司馬遼太郎である。

まず最初に吉田松陰である。私の尊敬する人物の1人である(ちなみにもう一人は台湾元総統の李登輝)。吉田松陰と言えば、1853年にペリーが浦賀沖にやってきたことから始まるその時は師である佐久間象山らとともに見届けただけであったが、翌年に日米和親条約のために寄港した船に金子重輔と共に乗り込んだが、行き着いたのはいいが結局追い返されてしまう。それが幕府にばれ野山獄へ服役したが松陰はそこで多くの書物と出会い、出獄後「松下村塾」を開き明治維新にかかわった人物を多く輩出した。しかし1859年安政の大獄により斬首刑でこの世を去った。吉田松陰は今もなお私を含めて小泉純一郎元首相や安倍晋髞元首相をはじめとして多くの人が尊敬する人物として挙げられている。

次に福沢諭吉である。「学問のすすめ」や慶応義塾大学の創立者として有名であるが、不覚にも私自身この「学問のすすめ」と言うのを読んだことがない。尊敬する李登輝台湾元総統が今年の9月に沖縄で公演を行ったがそこでは「学問のすすめ」が取り上げられていた。私も1度は読んでみたい。

次は夏目漱石である。夏目漱石は英語が非常に好きであったが教えること事態好きではなかった。そのため「教師失格」と言うレッテルを貼られていたが本人も「教師失格」と自認したという。さらに本書では「文化向上に貢献したゲーテと漱石」の節があるが。この2人に共通することは作家であるのと同時に大いに「悩んだ」人である。ゲーテの代表作には「若きウェルテルの悩み」があり、夏目漱石は今やベストセラーとなっている姜尚中の「悩む力」において「夏目漱石も悩んでいた」と言うくだりがある。そのことからではあるが悩んで悩みぬいてこそ文化の本質を解き明かし、文化の向上に貢献したということを考えると文化の質を上げるために「悩む」と言うことはいかに大事なことかがよくわかる。

最後は司馬遼太郎であるが、こればかりは私自身迎合できない。戦前の戦争は軍部の暴走であり、「魔法に掛けられていたかのようであった」としている。とはいえ数多くの資料を読みとおしてそう考えているのであれば本人の意見として尊重できるが、しかしそれについて解せないのが創作によりそれを如実に表したところがとりわけ迎合できない。本書に書かれている。

「エッセンスを砂金のように集めてみても、それが文脈の中に適切に組み込まれていなくては面白くない。そこで、想像力を膨らませながら、話の中にうまく嵌め込み、司馬風に料理したうえで提示するのである。」(P.158より)

創作によって想像力を膨らませて言った結果が今の「司馬史観」として歴史認識問題に大きな影を落としている最大の要因の一つではなかろうか。とはいえ司馬氏の創作としては非常に面白い。同じ司馬史観で書かれた城山三郎の「落日燃ゆ」も同じである。さらに最晩年には「二十一世紀の君たちへ」という短い文章もある。大学生の時に読んだのだが、非常にシンプルかつ切実に書かれているところはぜひ学校の国語の教科書に載せたほうがいいと考える。

上記の4人は今の教育に多大な影響を与えた人々である。当然それらの本は多かれ少なかれ人生において影響を与えることだろう。私的には日本の教育に最も影響を与えるべきなのは吉田松陰だが、なぜか歴史の授業の中でわずかしか書かれていなかったところが口惜しい。「講孟箚記」もそうだが「吉田松陰語録」と言うのも国語の授業の中でぜひ盛り込んでほしいものだ。