図説吉原入門

当ブログは「蔵前トラックⅡ」であるが、落語の演目から取っているため、今回の書評は落語の演目にある吉原について紹介する。

落語の世界でも「吉原」は多く扱われており、「明烏」「お見立て」「紺屋高尾」がその最たる例である。その吉原は現在の台東区千束3丁目・4丁目のことを表しているが、ちなみにここは日本日のソープランド街として有名であり、今でも「吉原」の名残が残っている。ちなみに吉原のほかに品川もかつては遊郭で有名だった(「品川心中」等の噺もあるとおり)。
本書は「吉原」に関するもろもろのことを説明している1冊である。

吉原というと遊女たちが集う場であり、その中でも上級の遊女を「花魁」という。さらにその中でも階級がありその最高位が「紺屋太夫」と呼ばれた。ちなみに前述の「紺屋高尾」の噺にもこの「紺屋太夫」が出てくる。

吉原は幕府公認の遊郭であり、江戸では最もよく知られたところの一つであるが、遊郭で勤しむ遊女やその客にとっての起きても厳しいものであった。まず遊女には前述のように階級が付けられ花魁になれるのも一握りでしかなく、さらにその上級にいる「太夫」は吉原に限らず、江戸に2・3人いるかいないかという世界である(ただし、この太夫とその一つ下である「格子」は18世紀半ばに姿を消した。なぜ姿を消したのかというのはいまだに分かっていない)。さらに細々とした規律があり、とりわけ男女心中はご法度であった。それをするようではまず心中を為したとしても、土葬はさせてもらえない。未遂に終われば日本橋のもっとも人通りの多いところで3日間見せしめにされその後「非人」という身分に落とされる。また掟に限らず、吉原でもう一つ深刻な問題であったのが「性病」であった。特に遊女のほとんどがこの性病に悩まされ医学で非常に有名なシーボルトでさえも「日本でこんなに深く根を下ろしたこの病気」と述べたほどである。

余談であるが、現在児童ポルノ法等性表現に関して国際人権委員会等で批判を受けているのは明らかである。しかし日本の文化的観点から考えて性表現や風俗関連を完全に撤廃してそれによって犯罪が減少したり、日本人の生活が健康的になるかというとそうではないだろう。吉原の文化もあれば、戦後間もない時には「赤線」という性分化が根付かれている以上、風営法等の規制強化を打ち出したとして健全化を名ばかりとして、性表現に厳しい西欧の事情に譲歩しているようにしか思えない。こういうことやその他歴史認識問題など様々な問題については日本ははっきりと主張すべきである。実際に主張せずに相手国の顔色を窺ってばかりでは弱肉強食の国際社会では笑い物、もしくは食い物にされるだろう。

話を戻す。今花魁や吉原について知っている人はそれほど多くないことだろう。しかし落語において吉原や花魁などの廓については切っても切れないものである。さらに日本文化に関してもこういった性風俗というのも縁が深い。日本文化は堅苦しいところはあるものの、男にとってこういったところで興奮(?)するようなものもある。落語もまた江戸の情緒や芝居のみならずこういったことを勉強できるいい機会なのかもしれない。