わしズム 2008年 11/29号

まずこのアイヌ問題が取り上げられた理由が2つある。ひとつは中山元国交相の「単一民族」発言。もう一つは今年の6月6日に「アイヌ先住民族決議」が衆参両院で全会一致で採決された。しかしこれでよかったのだろうかという疑いは残る。「SAPIO」でアイヌが取り上げられたことに感化し、そしてこの「わしズム」を書評するに至った。

今回取り上げるのはアイヌにまつわることだけなので後半に関しては一切取り上げない。
さてこのアイヌ民族であるが6月6日の決議もさることながら編集長である小林よしのり氏がウタリ協会への取材申し込み拒否への怒りがひしひしと伝わる内容であった。さらにこのアイヌ論はまだまだ続く。「ゴー宣EXTRA」でもこの続きが書かれるというので私もそれについて是非見ていきたいと思う。

そして漫画では分かりにくいアイヌ民族の歴史を事細かに、そしてわかりやすく書かれている。ここでちょっとピックアップしてみる。

アイヌ民族は擦文文化以降につくられた民族であるが、千島、樺太、本州から流れてきた多民族の地域であった。民族性が玉石混淆となってそのことによって生まれたのがアイヌである。江戸時代には松前藩が北海道の南部につくられた。その時にアイヌ民族と対立したとされているが小林氏に言わせれば「和人化した蝦夷」と「和人化が進んでいなかった蝦夷」との対立であったとされている。

さて江戸時代には「シャクシャインの戦い」、「クナシリ・メナシの蜂起」などアイヌと和人の戦いが起こった。これは松前藩の不公正な貿易と民族同化に反発する戦いが起こったがいずれも松前藩の前にアイヌは敗れた。このことから松前藩はアイヌに対して同化政策を促していったのだが、これにも確固たる理由があった。帝政ロシアの南下政策をどうしても防止する必要があったのだ。

当時ロシアでは「不凍港」を領土にすべく躍起になっていた。そのため目をつけたのが北海道であり、20世紀に入る前には朝鮮半島を支配下にしようと画策していたのである。これについて日本は阻止した。明治時代以降はアイヌ民族に対する様々な規制はかけられ、日本人と同様の教育を行っていったのである。

さて権利主張をする「アイヌ民族」であるが小林氏によれば政治的意図によってつくられていると主張する。これに関して首をかしげることもあったのだが、実際に純粋にアイヌの地を持っている人はほとんどいないといってもいい。ましてやアイヌ語をしゃべることのできる人は今では80歳以上に限られてしまっている。

そしてウタリ協会(来年4月から「北海道アイヌ協会」)であるがその構成員はほとんどが和人である。小林氏の取材を拒否したこともあるが、それだけではなく「単一民族」発言にことごとくかみついているのもこの「ウタリ協会」である。またアイヌ民族としての特権を訴えているのもその方々である。

しかしアイヌ民族としての「特権」とは何なのかという疑問に行く。民族として特別扱いしてほしいのかという考えさえも起こる。しかしこれこそが「差別」ではなかろうか。差別撤廃を求めている協会はそれを利用して特権を求めているのならば、それは明らかな矛盾としてか言いようがない。

ほかにも書きたいところはあるが、これについては「ゴー宣EXTRA」が出たときにまた改めて書こうと思っている。小林氏の作品に期待したい。