天気予報いまむかし

ニュース番組でも新聞でもインターネットでも必ず流れる天気予報は流れる。この天気予報はどのような歴史があるのかというのを見てみたいがために本書を手に取った。
本書は天気予報についての今昔について書かれている1冊である。

第1章「天気予報の文化的側面」
よく天気予報で「今日は暦の上では…」というのが多い。実際「暦」というのは全部で二十四節あり代表的なもので言うと「立春」や「秋分」といったものがあるだろう。とりわけ「春分」と「秋分」は祝日として扱われており、これらの日には「御彼岸の中日(ちなみに前後7日間を「彼岸会(ひがんえ)」という)」となっている。
さてここで少し豆知識であるが「お天気」はよく晴れるなどの好天を現しているのだが、これは日本に限ったことであるということははじめて知った。では西洋での「お天気」はどうなのかというと、悪い天気のことを表している。

第2章「天気予報の学問的背景」
気象学に関しては、だんだん正確になってはきたものの、自然というのは恐ろしいもので今年の夏の「ゲリラ型豪雨」など予想できないものまで存在する。本書ではこういった気象学の状況について都都逸になっている。

「地球の空気はひねくれものよ。温めりゃ上がって冷えていき、冷やせば下がって温まる。
押せば勝手にそれるしね。本に気骨が折れること」(p.71より)

第3章「天気予報の技術的側面」
アメダスや百葉箱などについて詳しく書かれている。でもよく考えてみたらアメダスは昔どのように使われていたのかというのが不思議でならない。ちょっと調べてみたら、アメダスは1974年に運用が始まったが、それまでは気象観測地点として、現在で言う地位気象観測所や区内観測所しかなく、おおむね100㎞程度間隔でしか観測できなかった。今のように網羅できたのは1979年のことである。百葉箱は19世紀ごろからできてきたと言われており、日本に渡ってきたのが1874年のことであり、気象観測として正式に使われ出したのが1886年である。アメダスは「露場」という百葉箱を田敦士機などの温度計や湿度計と言ったものが使われている。より詳しい気性を把握するという観点は機会が進化しても変わらない。ありのままの技術の範囲を伸ばしながらこの気象情報は進化しているのだなと考えられる。

第4章「情報通信時代の天気予報(情報通信気象学)」
情報通信の時代になって飛躍的役的に早く、そして簡単に手に入るようになった。気象情報は絶えず進化している。しかしその根本というのは百葉箱の如く変らないものであるが、その延長線上として進化しているのだろうと私は思う。

最後に余談であるが、北海道では20年ぶりに氷点下20度を下回ったという。北海道(特に内陸部)では毎年12月~2月にかけて氷点下20度を下回ることが多いが、今月に下回ることは私の中でも初めてである。冷凍庫よりも寒いこの温度、他の人たちはどのように感じるのか聞いてみたいものだ。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081125-00000008-yom-soci