教育の3C時代―イギリスに学ぶ教養・キャリア・シティズンシップ教育

昨今の教育事情は「学力低下」や「教師の質の低下」、「モンスターペアレント」など数多くの問題が山積している。本書はそれらの教育問題をイギリスの教育を参考に糸口を提示したり、そういった教育が日本でも行っているケースを紹介したりしている。本書のタイトルの「3C時代」とあるが、これは「Culture(教養)」「Career(キャリア)」「Citizenship(シティズンシップ:「公共性」の教育)」と3つの頭文字のCをとっている。

第1章「教養教育――「自尊意識」と「自律」を育てる」
日本はイギリスと違い自尊心を持たず、勉強が嫌いである。また自律する教育は行っていても日本では所詮学習指導要領に則り、教科書と言うマニュアルに沿っていけばなにも問題にされないが、結局その教育は名ばかりで自律の心が育たない。さらに大学の教養は、今はそれほどでもなくなったものの昔は「デカンショ(デカルト・カント・ショーンパウエル)節」で揶揄されるほど哲学漬けであったとも言われている。日本の教育とその現状をあたかも罵詈雑言のように批判している。それはそれでいいのだが、本章を読んで最も気に食わなかったのはイギリスの教養教育を過度に礼賛しまくっており、日本の教育をこき下ろしていると言う偏屈ぶりである。日本の教育にも強いていいところを挙げたり、イギリスの教養教育にも悪いところはある。そこを取り上げて表を取り上げてくれれば、もっとイギリスにおける教養教育の見方が変わるのではないかと思った。

第2章「キャリア教育――「自立」と「社会参画」を育てる」
ここではイギリスにおけるキャリア教育について取り上げるとともに、そういった教育が日本で取り上げられている。そのケースについても紹介しているところである。キャリア教育とはあまり聞きなれない人もいるため簡単に言うと、子供達は学校を卒業した後に必ずと言っても良いほど企業に就職をする。そうなると当然「学生」としてではなく「社会人」として扱われる。その「社会人」になるためにどのようなことを身につければいいのかというのがこの「キャリア教育」である。今日本でそういった教育を身に付けられる一つの手段としては「インターンシップ」というのがあるほかは、ほとんどないに等しい。日本の教育問題の中で学力低下に埋もれてて、蔑ろになっている問題のひとつとしていえるだろう。そういった意味ではイギリスで行われているキャリア教育(「アントレプレナーシップ教育」も含む)は、参考までに取り入れてみるべきであろう。

第3章「シティズンシップ教育――「公共性」と「民主主義」を育てる」
「シティズンシップ」については最初の部分において書かれているとおり「公共性」もしくは「民主主義」と言う意味合いとして使われる。では日本の教育においてこういった「シティズンシップ」が育てられるのかと言うと私でも首をかしげる。少なくとも中学校や高校ではそういったことはほとんど学ぶ機会と言うのは無いに等しい。ほとんどが科目勉強、中間や期末、もっと言うと受験勉強に費やされる。そういったことで「シティズンシップ」を育てられる訳が無いと言っても良いかもしれない。

本章では当然のようにイギリスの教育を紹介しているが、その中身は討論や社会活動を通じていることが多い。日本でもこういった「シティズンシップ」を養う授業は昔はあった。それは「修身」という科目であり、その中で社会のルールやマナーと言ったことを実践を通じて行ったとされている。具体的なものについては私もまだわからないが、もしかしたらこの「修身」の中にイギリスでも行われず、かつて日本で行われたであろう「シティズンシップ教育」があったのかも知れない。これについては「修身」の研究本があればいいのだが。

本書は日本における教育問題をイギリスの教育と言うことを駆使して紹介しているに過ぎない。と言うのはこれをやったからと言って日本の教育問題が解決できると言うのはまず無いだろうと考えるからである。日本の教育は世界的に高水準にあろうとも、必ずと言っても良いほど問題ははらんでいる。それは今注目されているフィンランド、本書で紹介されているイギリスの教育でさえも例外ではない。日本でも教育問題についてさまざまなアプローチで取り組んでいるところも少なくない。当ブログでも取り上げた例もある。それをフォーカスしながら解決方法を模索していくことこそ、月並みなことしか書けないが、そうするしかないというのが現実であろう。