白川静 漢字の世界観

白川静と言う人をご存じだろうか。私も本書に出会うまで名前だけしか知らなかった。

本書を読んでいくと白川静は3年前に亡くなられた漢文学者、漢字学者である。生涯甲骨文や金文と言った漢字や漢文を追求した学者として有名であり、漢字の研究そのものを愉しんだ人でもあった。本書はその白川静がどのようなことを遺してきたのかというのを「千夜千冊」で有名な松岡正剛氏が本を解き明かしながら考察している。

私は白川氏の研究については全くと言ってもいいほど知らない。まして白川静という人物は名前だけしか知らなかったほどである。

それはさておき日本語には大きく分けて3種類、平仮名・片仮名・漢字によって成り立っている。日本独自に発展したものもあれば、中国から伝来してきたとされているものまである。それが「漢字」である。しかし白川氏の言う所によると「漢字は日本の国字」と主張している。白川氏はこれを念頭に置きながらこの漢字研究を支え続けたという。漢字は中国からきているのがほぼ定説に近い状態であるが、それに一石投じているようで面白いと同時に日本人にとって感じがいかに重要であるかを説いた一言であると私は思う。

白川静氏の文献に関してはこれからいくつか読んでいく。

そして本書を読んで思ったことだが、最近の本は平仮名が多くごく平易な表現で書かれている本が多くなっている。ビジネス本書評の大家であり出版コンサルタントである土井英司氏はこう書いている。

「最近のビジネス書のトレンドを見ていて、危惧していることがひとつあります。
それは、こんなにわかりやすいものばかり読んでいて、考える能力が衰えはしないか、ということ。」ビジネスブックマラソン「理系アタマのつくり方」より)

解釈は違うが、わかりやすい表現を用いて、わかりやすい図表を用いている本が多い(ビジネス本に限らず)。本来日本語と言うのは3種類から成り立っており、表現も星の数ほどある。しかし「正しい表現」「わかりやすい表現」ばかりがまかり通って、昔からあった難しい表現が跋扈される風潮があっていいのだろうかというのを、私はいま書店で出回っている本そのものに疑問を呈したい。

以前ブログでも言ったとおり日本は「活字離れ」「新聞離れ」と言われている。新聞は部数が減り、今週号の「東洋経済」でも書かれているように深刻な状況になっている。活字も出版社が倒産し思うように本が売れなくなっている。活字はどんどん見なくなるのではないかという見解だろう。しかし私がもっと深刻に思っているのが「語彙離れ」。つまり活字の表現が平易な作品が増えて言いること。そのことによって日本人の日本語の語彙や慣用表現と言うものが染みつかず、結局廃れていってしまう。それでいいのかというのが私がこれまで読んできた中で考えた持論である。

当ブログの書評は時折難しい表現をしたりするなど、堅苦しい書き方をしている。当然これは続ける。表現を愉しみながら、難しい表現をどんどん覚えていきながら、日本語を愉しんでいくというのが私のアウトプットのポリシーである。

本書と少し脱線したが、本書を読んでそのように感じ、再確認できた。