上に立つ者の心得―『貞観政要』に学ぶ

「論語」や「孟子」なら中国の古典として聞いたことがあるだろう。
では「貞観政要(じょうがんせいよう)」は聞いたことがあるかというと、おそらく知らない人が多いだろう。ではこの「貞観政要」とは一体何なのかというと、簡単にいえば「帝王学」という類に入る。そう考えると「論語」と似ているのかというと、似ていない部分の方が多い。

というのはこの「貞観政要」はどのように統治したらいいのかというのを具体的に書いている。数千年にわたって読み継がれた「真のリーダー論」であり、北条政子や徳川家康が愛読したと言われている。この2人を共通して言えることは100年、200年にもわたって統治を続けることができたことにある。「貞観政要」はまさに「真の「帝王論」」であると同時に「真の「リーダー論」」というべき書物である。本書はその「貞観政要」を関西大学名誉教授の谷沢永一氏と上智大学名誉教授の渡部昇一氏が対談形式で読み解いている。

第一章「リーダーの必読書『貞観政要』」
第一章に入る前に登場人物について簡単に解説されているので読んでおいたほうがいい。
この「貞観政要」は日本には平安時代から伝わった。厳密にいえば遅くとも桓武天皇の時代のころなので奈良時代後期〜平安時代初期にかけて伝わった。これに関する翻訳はわずかしかなく上下巻を1冊と数えても2冊しかない。

ビジネス書を出版される会社はこう言った本の解説本であったり翻訳本を出していただきたいと思っている。ちなみに上記の中で原田種成が翻訳されたものがあるが出版が30年前であり、入手困難であり、何よりも高い。こう言った本の翻訳のブームの兆しがあればいいが、それが本書であれば幸いなことだが。余談であるが本書を読了後、右の一冊は購入済みだが、まだ読んでいない。これからじっくり読むことにする。

第二章「王と諌臣の奇跡的な関係」
能書きはここまでにしていよいよ「貞観政要」の中身に入っていく。ここでは王を諫める「諌臣(かんじん)」こと「諌議大夫」にスポットを当てている。有名な言葉としては

「朕、不善有らば、卿必ず記録するや」
「道を守るは官を守る如かず」
「私が悪事を働けば、お前はそれを必ず記録するのか」
「職責を守ることが道徳に適うことだと思っています」)(p.38より)

皇帝太宗は君主としてもい言はあるが魏徴という「諌臣」の忠言をしっかりと聞き、反省しながら統治している姿こそ帝王学の真髄と言える。帝王学は帝王一人だけで学ぶのではなくその下に、帝王を諫める人も帝王の暴走を予防、もしくは食い止めるための措置をどうするべきかというのを学ばなければならない。「諌臣」は故事を引き合いに出して具体的に諫めたとされており、帝王も反省しながら自戒していくというまさにコンビネーションでもって統治していく。さらに日本で言う「内助の功」も必要で江豪の祐樹というのも本章の後半に書かれている。ここでは最高の皇后と最悪の女帝という両極端にあった女性についても言及している。

第三章「強固な国づくりの根本理念」
次は「国づくり」である。リーダーの立場についてこれも有名な言葉を引用する。

「君主は舟なり、民は水なり。水は能く船を載せ、亦能く船を覆す」(p.77より)

君主はわたり船であり、民の力によって転覆されることもある。民も力を合わせることができれば君主をその座から引きずり下ろすことができる。これは今の民主主義の根幹とも言える言葉と言っても差支えない、民主主義国家は国が違えど「選挙」によって政権を選ぶことができる。後半には死刑存置・廃止論が叫ばれているが罰せられることが少なくするにはどうすればいいのかというのを模索するならば、死刑の基準を引き上げろという主張をしている。これについては賛否両論があるかもしれないが、死刑廃止論は平安時代のことを引き合いに出す。それに対する存置論の引き合いとしてであればこれ以上の書物はないのかもしれない。私はどっちの立場かというのは明言は避けておく。

第四章「「公平第一」が成功する人材登用の秘訣」
トップは国づくりばかりではなく、部下を育てることもまた仕事の一つである。自分にとって役に立つ部下をつくることが大事である。ところでちょっとおもしろいのがこういったものがある。

「忠義の部下」≠「良い部下」(p.136より)

では「良い部下」と「忠義の部下」とは一体何なのか魏徴の答えを箇条書きにしてみた。(p.137より一部改変)

「良い部下」→「後世からも尊敬されるような立派な名前を得て、家系も絶えずに反映する。皇帝も『聖天子』という栄誉ある称号を受けることができる」
「忠義の部下」→「一族は皆殺しにされ、君子は暴虐になり、国も一族は滅亡し、忠臣であったということだけしか残らない」

本書ではこういった解説ではあったが、私の解釈としてちょっと補足を加えたい。「良い部下」は皇帝の意向を聞きながらも、皇帝の暴走を諫め、良い方向へと向かせることのできる部下。逆に「忠義の部下」はどんな意見でも忠実に守ることだけしか考えず、滅びの道を歩んでもそれに気づかない部下のことを言っているのではないかと私は思う。

第五章「現実を見失わないための心がけ」

「木、縄に従えば則ち正しく、君、諌に従えば則ち聖なり」(p.150より)
(どんなに曲がった木でも縄に従って切ればまっすぐになり、どんな君主でも、諫言の呈する家臣に従えば聖なる君主になれる)

第二章で書かれたような内容をさらに深化して語られている。皇帝は現実を見据えながら、諫言の意見を取り入れながら国づくりなどに尽力する。皇帝は権力に酔いしれず、常に現実路線で政策を決めることが肝心と言える。これは政治家や企業のトップにも言えることである。

第六章「永続の工夫と実践」
君主の統べる時代というのは永遠ではない。必ず終焉の時代を迎えるのが理である。しかしどれだけ長く保てるのかというのも課題の一つである。すべる時代を永遠に保つためには後継者問題というのがある。それに関してであるが今はなりを潜めているとはいえ皇室典範問題、いわゆる天皇後継者問題というのはいまだに解決していない。神話を含めても約2700年もの歴史を持つ天皇家だがここにきて窮地に立たされていること考えるとこういった後継者の問題というのはまさに「永遠の課題」であろう。
ちょっと話を戻す。国を永遠に反映させるにはどうすればいいのかという課題であるが、もうひとつある。それは「戦いを好まないこと」である。これは本書に書いてある、

「戦を好めば則ち人凋す」(p.200より)
「古より已来、兵を窮め武を極めて、未だ亡びざる者は有らざるなり」(p.189より)

を逆にして考えたことである。つまり戦好きは必ず滅亡し、戦を好まぬ者が繁栄を続けることができるという。

「貞観政要」を翻訳した文献はほとんどない。論語と比べたら雲泥の差というくらいに。おそらく「座右の書」にしている人もほとんどいないのではないかとも思う。しかしリーダー論が巷の書店で溢れ返っている今、この「貞観政要」は注目される時が必ずやってくるだろう。