圓楽 芸談 しゃれ噺

2006年春に五代目三遊亭圓楽が笑点を引退、それと同時に落語界からも一線を退いた。私は圓楽の落語はCDでしか聞いたことがないが十八番の「浜野矩随(はまののりゆき)」や「中村仲蔵」であれば聞いたことがある。圓楽の話を一言で言うと芝居噺を聞いたことしかないせいか「迫真」と言うほかない。今度は圓楽の人情噺、とりわけ涙を誘うような噺を聞いてみたい。
それはさておき本書は三遊亭圓楽の生い立ちについてつづられた一冊である。

第一章「寺育ち」
三遊亭圓楽、本名吉川寛海は寺の四男として生まれた。厳格な父をはじめ多くの人たちに囲まれ時には厳しく、時には優しく育てられた(本章を見た限りでは「厳しく」のほうにウェイトを占めているようだ)。圓楽が幼少の時に関東大震災や大東亜戦争を体験した。その時の状況について結構生々しく書かれていた。戦後圓楽は落語や講談を聞き噺家になろうと決意。昭和の大名人の一人である六代目三遊亭圓生の門をたたいた。これまでには圓楽の特徴である「馬面」の話まで描かれている。「牛には塩、馬には砂糖(p.52)」と言われているとおり、圓楽はコーヒーを飲むときは必ず砂糖を入れるという。それでますます馬面になって笑点でネタにされた。
…失礼いたしました。

第二章「落語漬けの青春」
失礼な話はさておき、圓生の門をたたいた圓楽はこう言われた。

「ざっと五十年は食えませんよ」(p.65より)

圓生自身の体験からか言っていることであるが、圓楽の話となるとこの言葉をよく思い出す。それだけ私にとっても印象的な言葉である。噺家ばかりでなくこういったもの書きももしかしたら昔はこの言葉通りだったのかもしれない。

さてどうしても懇願した圓楽は晴れて圓生門下に入門した(当時の名は「全生」)。前座生活から稽古までの当時のことを忠実に書かれていた。前座の時というと圓生ばかりでなく、志ん生、文楽、金馬と言った名人たちが寄席などで鎬を削っていた時代である。ここでちょっとおもしろい一文を発見。

「ところが、あたしは……談志はああみえて、案外気が小さいんですよ」(p.86より抜粋)

(五代目立川)談志は談志で「私は圓楽が嫌いです」と公言している。仲が悪いように思えるが、前座から「四天王時代(四天王は談志、圓楽のほかに、三代目古今亭志ん朝八代目橘家円蔵がいる)」にかけてお互いに切磋琢磨し、お互いに励まし合った仲である。本章ではこの「四天王」についてもしばしば出てくる。

第三章「圓楽襲名」
圓楽は昭和37年10月に真打昇進を果たし、五代目三遊亭圓楽を襲名した。余談だがこの半年前に志ん朝が真打昇進を果たした。本章の前半は志ん朝と圓楽の話について書かれている。なんと志ん朝が入門する前の時に噺家になろうという相談をした相手が当時前座が圓楽であった。圓楽と志ん朝の中はその時からであった。そこから談志や円蔵との交流が始まったと言っていい。ちなみにこの「円楽」の名は林家にも縁がある。というのは先代の八代目林家正蔵、通称「彦六の正蔵」の前々名が「三代目三遊亭圓楽」であった。圓楽に対しては数席稽古につかせて気に入っていたという。そのことから円楽を譲ったという話があったりなかったり。

第四章「あたくし的『笑点』史」
圓楽と笑点の歴史は桂歌丸に匹敵するほど長い。何せ初代メンバーの一人であったのだから。さて笑点は様々な紆余曲折を経て40年以上の歴史を持ち、今も高視聴率を稼いでいる。初期の司会はあの立川談志。ブラックジョークと言ったことなどでの対立で降板し、三代目司会者の初代三波伸介となった時に復帰した(先月二代目三波伸介が襲名されるということなのでここでは初代と冠した)。ここで「星の王子さま」「湯上がりの顔」「名人圓楽」そして「アシの王子様(骨折した時の圓楽の紹介)」等キャッチフレーズが出てきたときもこの時である。そして圓生からの厳命により番組をいったん卒業。そして司会に返り咲きという遍歴を持つ。私は物心がついた時から笑点を見ていた記憶がある。最初に笑点を見た記憶はというと、メンバーは三遊亭小遊三、林家木久蔵(現:林家木久扇)、桂歌丸、三遊亭楽太郎、林家こん平、七代目桂才賀の時なので21・2年前になる。本当に物心がついた時なのでどのような問題だったのかというのは覚えていないが。

第五章「圓生、そして一門」
圓生一門について書かれている。その中で圓楽のように大きく成長した円窓と言った存在から、圓生から徹底的に飽きられたり嫌われたりし、最後には破門されたさん生(現:川柳川柳)や好生(後の春風亭一柳、故人)についても圓楽の心情とともに綴られている。前述の波紋の引き金となった「落語協会分裂騒動」についても言及している。

第六章「“戦争と平和”」
圓楽が持っている噺の中に章題の噺もある。さらに四章で紹介しきれなかった笑点の噺もここで書かれている。おもに笑点に出演している噺家の話であるが。現在司会をやっている桂歌丸のことについては、ある意味悪口に近い。

「その歌さんも落語に出てくる物知りのご隠居を彷彿とさせる風貌や、ことにあの人並みはずれて無駄を省いた頭髪といい、物知りぶりと言い、個性が際立ってますよ」(p.273より)

禿ネタが多いがこれを上品にいうと「無駄を省いた頭髪」になる、か。
……入院中失礼しました。

第七章「好きな噺、思い出深い噺」
ここでは圓楽自身の持ちネタについての好きな噺、思い出の噺について書かれている。上記のような「浜野矩随」や「中村仲蔵」のみならず様々な話について語っている。前述のように私は圓楽の噺はあまり聞いたことがないので、もう少し聞いてから書くことにする。

五代目三遊亭圓楽は噺家であると同時に「笑点の顔」であった。ちなみに来年春には弟子の三遊亭楽太郎が六代目三遊亭圓楽を襲名する。五代目のあるいてきた道 を歩むのか、それともまた違った「圓楽」を見せてくれるのか楽しみである。