コスメの時代―「私遊び」の現代文化論

本書を読んで、ずっと前に「電車の中で化粧する女たち」を書評したことを思い出す。確かこの時に書いたのは、「化粧とファッションについて」、「化粧はマナー違反であることの反駁を求める」ことであった。今思えばこのコスメと「遊び」、「オタク」の考察についてがほとんど書かれていなかったことに気づく。だが本書はこういったことをさらに深化して考察している1冊である。

序章「ファッションの八〇年代から化粧の現代へ」
女子というとプリクラやケータイ、インターネット、さらにファッションとしての「化粧」がある。それは80年代にはやったDC(デザイナーズ&キャラクターズ)ブランドによるファッションの個性化から、今度は化粧やプチ整形といった化粧を使っての自己表現が出てきたのが現代である。今や化粧は「サブカルチャー」や「ファッション」と同義個にとらえられるようになったと著者はいう。

第一章「少女の消滅――オリーブ少女からコギャルへ」
数年前に小学生が化粧をするというものをTVで見たことがある。それはさておき、本章ではファッションの「Olive」という雑誌から名付けられた「オリーブ少女」。前章のファッションの個性化の火付け役となったのがちょうどの時である。そこからファッションから脱し、「化粧」へのシフト、そして化粧の在り方の変化についてである。序章を少し細分化したところと言えよう。

第二章「物語の終焉――教養小説からキャラクター小説へ」
80年代には「an・an」、90年代では「JJ」と言った女性誌を中心としたファッションの物語についてである。ちなみにこの「物語」は女性のプライスはファッションとされていた80年代(「an・an」全盛期と言ったほうがいいか)にピークを迎え、90年代に入ってからは女の子の心をわしづかみにしたのはロマンティックではなく、現実路線であり、個人化主義のもとにある「キャラクター路線」に転向したと言ってもいいかもしれない。

第三章「個性神話の崩壊――コム・デ・ギャルソンからユニクロへ」
さて章題に書いてある「コム・デ・ギャルソン」とは一体何なのかという所から入らないといけない。「コム・デ・ギャルソン」は1969年にデザイナーの川久保玲が節室したブランドで80年代を中心に流行したファッションブランドである。とりわけこの年代では白や黒を基調としたものトーンで、奇抜なファッションとして人気であった。そう、80年代は奇抜なファッションが流行だった時代、章題で言う「個性神話」時代というのがこのことである。ところがこの流行も長続きせず90年代後半から「ユニクロ」が登場し瞬く間に個性神話が崩壊した。「ユニクロ」によって「カジュアル」がより重視され「個性化」というのが一気に凋落を迎えさせたと言ってもいい。

第四章「フラット化する「私」――「毒(プワゾン)」から「ヤングセクシーラブリー」へ」
章題の「フラット化」というよりもこのところでは副題が重視されている。ここでは香水についての流行が書かれている。80年代は「毒(プアゾン)」で最近では「ヤングセクシーラブリー」の時代に変遷したことである。ここで「毒」というのは「クリスチャン・ディオール」が80年代に送った新作であり、なぜ毒なのかというのは本書では「大人っぽい」であった(p.131より)。さて後者の「ヤングセクシーラブリー」だが、2006年8月に出たもので、ごく新しい。この「ヤングセクシーラブリー」とは一体何なのか、簡単にいえば「私」そのものである。つまり香水ではファッションとは違い「個性化」というのが進んでいると言ってもいい。

第五章「一億総オタク化する社会――モノ語りの人々からコスメフリークへ」
電車の中で化粧する女たち」では重点的に取り扱ってきた化粧の「オタク化」。これが本書日に手さらにパワーアップした形で書かれている。ついこの前までは「電車で化粧をしている女子高生を見かけることが多かった」と言ったが、今度は(私の見た限りでは)電車やバスで堂々と化粧をする中年女性も出てきた。もはや「化粧=オタク」という方程式に限りなく近づいた証拠ではなかろうか。

終章「私探しから「私遊び」へ」
80年代は個性的なファッションにより聞かざることによって「自分」を探していた。しかし今となっては化粧を行うことによって「私」をいくつものキャラクターを演じ分けることのできる「私遊び」にシフトしていった。こう演じる自分が可愛いという自画自賛、「私萌え」というのも本書に書かれているほどであるから余ほど化粧をする女性が自画自賛していることだろうか。

男性の「オタク」と言えば今となっては「美少女アニメ」と世間は言うだろう(それ以外でも「オタク」ということはある。例えば鉄道とかがそう)。しかし女性の「オタク」というと、「化粧」であろう。そう言う意味では「一億総オタク化」というのはある意味その通りかもしれない。