正直書評。

書評家の豊崎由美氏が「TV Bros.」の「書評の帝王 帝王の書評。帝王切開金の斧」から2004年3月〜2008年9月に取り上げられたものをまとめている。当時の話題作品を評価の高い順に「金」「銀」「鉄」の斧として、ストレートにそして評者自身のスタイルで書評を行っている。ちなみに豊崎氏は「書評王の島」でも多くの書評を行っている。

書評というのは「中立」を重んじるという人が多いが、本書を読む限り書評は「独断と偏見」で評する。たとえ「中立」と言われようとも。だから書評家は「著者に嫌われ、読者に愛される」言われである。

豊崎氏の書評の特徴は本書で見る限りこういった特徴がある。

・ベストセラー作品、直樹賞作品などのブランド作品は激辛(大概は「鉄」だった)
・海外の小説(翻訳)作品に関しては「金」が多い傾向にある。
・特に後半では「銀」や「鉄」の作品はあまり取り上げられなくなり「金」が多い。駄作を敬遠する傾向が強くなった?

書評を究めるために書評を行ったり、書評の本を読んだりしているが、本書ほど愉快に読めたものはない。表現がユーモラスであり、何よりも「エッジ」が鋭い。駄作であれば所々で毒を吐き、こき下ろし、良作であれば猫の鳴き声(?)のように甘い表現になる。

書評の表現の仕方は人それぞれであるが豊崎氏のような表現を用いて書評をするのも、私のように堅苦しいものばかりの中で独自の表現を見出していくのだからまた一興である。

余談であるが最近は書評ブログが乱立しているが、それに警鐘を鳴らす人もいる。私なりの意見はそう言った書評が誰もがやるのは構わない。ましてや書評家が乱立するというのは決して否定するつもりはない。だがこれをいつまで続けられるか、そうでないかで本物にも似非にもなるのではないのかというのが私の意見である。

正直言って書評家は「中立性」が原則というのは戯言に過ぎず、どんなに「中立性」と言っても自分の主観が入るのが自然である。私自身「中立」「中庸」「中道」「標準」「普通」といった真ん中を表現するのが大嫌いだからということもあるが、いくら中立になろうとも、主観によって右にも左にも上にも下にも傾くのは当然である。私も結構右に傾く傾向があるが、今更そう言ったことを治すつもりは毛頭ない。

私の見る限りでは出版不況と呼ばれるがこういった書評はこれから増えるだろう。それは読書をすることにより自分はこういったことを表現したいことや、ほかに書くネタがないということから書評に走るからだ。

それはさておき「書評」はどんなスタイルでも本が絡めば書評となり得る。それは大学教授がやろうとしても、書評家がやろうとしても同じである。豊崎氏はそう言った環境の中で独自の書評を見出し、コラムや著書を世に出している。書評に携わる人はこういった本格的な書評を読んで勉強することを勧める。