「場所」論―ウェブのリアリズム、地域のロマンチシズム

「場所」についての論考は最近になって新しくなったのかもしれない。ウェブ上などのバーチャル上での「場所」、現実世界というリアルの「場所」というのを考察の必要性を考える時期に入ってきたのではないかというのを問いかけているような一冊である。

第一章「混在郷(ヘテロトピア)を生きる」
インターネットが普及した後の「場所」について考察したのが本書であるが、まずはリアルの「場所」についてである。高度経済成長から都市圏、地方問わずインフラが発展した。とりわけ田中角栄が政権を取っていた時代が顕著になって表れたが、そういった発展を背景に2000年代に入ると「格差」門街が浮き彫りになり地域的な格差が深刻化した。しかし日本の風景は地方、都市圏問わず画一化されているように思えてならない。これは章題の「混在郷」と対照的な「非在郷(ユートピア)」である。それに対して異なる空間が混在するあり方を「混在郷」という。ただ日本人は画一性・保守性を好んでいるためかそう言った「混在郷」を嫌がっているのではないかと考える。

第二章「場所とは何か」
「場所」の在り方について哲学的に考察しているところである。おそらく本書の中で一番読みにくいところであろう。第1章も哲学的なところがあるが、日本の「地域格差」の現状について言及しているところから親近感がある。しかしここでは本格的な「哲学」である。

第三章「地域から遊離した空間」
この章の前半で簡単な例があるので紹介する。昨年の正月には埼玉の「鷲宮神社」が例年の3倍以上にあたる30万人もの参拝客が駆け付けたということがある。これの原因はアニメ「らき☆すた」で柊家が営む「鷹宮神社」のモデルとなった所である。ちなみにこのアニメの舞台が埼玉県春日部市。奇しくも「クレヨンしんちゃん」の舞台と同じである。春日部市もまた「クレヨンしんちゃん」を1年間だけであるがイメージキャラクターとして町おこしさせたという。ほかにもアニメの舞台となった所が町おこしに使っているところがある。ちなみに今はアニメの舞台として使われていたが、昔はドラマや映画の舞台として町おこしをするということがあったから、時代の変遷によって町おこしに使う対象は変われど手法は変わらないというのがわかる。これらのことを「地域から遊離した空間」と呼ばれるが時代の変遷によって変わったというわけではない。

第四章「生きられたウェブ空間」
ここからウェブにおける「場所論」である。一昔前まではリアルの場のみで扱われていたがここからウェブの空間、場所が入るようになりこのような「場所」に関しての哲学的考察が増えていったのだろう。

第五章「ウェブ空間の比類なき空間特性」
ウェブの世界では匿名性があり、ある程度自由にあらゆる情報を入手することができる。こういった空間特性はほとんどない。

第六章「地域のロマンチシズム」
地域等のはリアルにあるがウェブの誕生により、擬似的な空間や故郷が出てきた。

ウェブの誕生により「場所」「空間」「地域」の在り方について大きく変化した。それによって学術的に考察する作品が多い。しかし学説が枝葉のように多くなっていく。ウェブがどのような「場所」で、「空間」で、「故郷」なのかというのは人それぞれである。
ウェブの世界について思想・哲学的な考察する本がいくつかあるが、そう言った本も読んでみる価値はあるかもしれない。