日本で「一番いい」学校―地域連携のイノベーション

「一番いい」という基準は一体どこからきているのかというのが分からない。もしかしたら著者自身が「これが日本で一番いい学校だ」という独断で決めたのだろう。

それについて、とやかく言うつもりはないのだが本書の内容は副題のほうが的を射ており、地域連携による教育を行っているケースを紹介しながら「いい学校」の在り方について考察している。

第1章「地域連携の原点」
地域連携での教育を行っている原点、それは徳島県南町伊座利という所にある。場所からしてかなりの山奥ではあるが、まさに「林間学校」、もしくは「山村学校」と言っても差支えない。本章はこの伊座利にある小中一貫校「伊座利校」にスポットを当てている。過疎化の激しい山奥であり、当然その余波もこの学校に来ているわけであるが、地域連携が話題を呼び廃校の危機を免れるどころか「山村留学」という形で入学する人も少なくないという。全体の生徒数は2008年現在約25人なので少ないものの、もともと人口の少ない伊座利だけあって一人一人が地域のコミュニティや自然と遊ぶことによってすくすくと育っているのだという。最近ではこういった自然と戯れることが少なくなっただけにこう言った学校が重宝されるのだろう。

第2章「コミュニティスクールの戦略的活用」
戦略的にコミュニティスクールとして活用している4校のケースを紹介している。

第3章「さまざまなツールを活用して「いい学校」をつくる」
ケーススタディはここでいったん一休みと言ったところである。今日本では「学力低下」というのが深刻な問題として位置づけられている。しかしこの学力低下というのは果たして「是」なのか「非」のかというのも疑いがある。それは教育とは「学力」という物差しで測られるべきなのかという疑問から入らないといけない。学力を育むだけの機関であるとするならばいっそ学校をすべてなくして「学習塾」を公営にして学力を育てていけばいいわけである。しかし「学校」は学力を育てるばかりの役割ではないのは周知の通りである。最近では「モンスター・ペアレント」や「いじめ」と言った問題もある。これはコミュニティの観点から語られないといけないが。
能書きはここまでにしておいて、本章は学力テストを利用しての学力向上を狙ったツールはどうすべきかというのを提示している。「モノは使いよう」というのはこのことだろうが、本章で紹介されていることを行い、これで学力向上できたら学力問題について苦労しないだろうと思うのは私だけであろうか。

第4章「京都市のイノベーションと日本文化の「型」」
最後のケーススタディと言っていいだろう。京都市の教育施策にスポットを当てているが、なぜここなのかというと本章の冒頭に書かれているが、京都市御所南小学校が「学力日本一」だということが新聞・雑誌・TVで話題になったことから本章で取り上げたのだろうか。

第5章「すべての学校を日本で「一番いい」学校にするために」
学校というのは果たして勉強をする場だけなのかというとそうではない。だとすると、躾を学ぶ、友達と切磋琢磨する、地域と連携して子供を育てる場、安心して子供を預ける場…、さまざまな役割を担っている。最初にも書いたがその中で「一番いい」という尺度はあって無き様なものだと私は思う。本書で紹介されているケースはそれぞれの事情に合わせて、作り上げたモデルなのだろう。それと似た環境であればこう言った学校を参考にして独自のモデルを創り上げるべきである。学校の在り方が問われている今、地域が一体となって子供を育てる概念がどうも欠如しているように私は思えてならない。ニュースを見る限りでは学校は学力を育てる場という概念が色濃く見えており、それだけなのかとメディアを疑ってしまう。

教育問題は学力一色単になってしまっているようだが、いじめやモンスター・ペアレントの対処もある。しかしそれに目がとらわれすぎていて「どういった教育にするか」というのが野放しになってしまっては本末転倒である。