江戸人のしきたり―日本橋、天麩羅、三社礼、寺子屋、歌舞伎、吉原…日本人の知恵と元気の源泉

江戸時代というと様々な文化が栄えた時代でもある。しかし鎖国状態であったため海外からの文化を取り入れるということではなく、日本独自に築き上げた文化であったため、幕末に外国からきた者たちは非常に珍しがり、かつ畏敬の念を払ったとも言われている。その江戸文化は落語の世界、とりわけ古典落語の世界から存在しているため、江戸文化というのはわりととっつきにくいというわけではない。本書はその中から江戸人のしきたりをピックアップしているが、江戸文化も同時に学ぶことができるため江戸時代のことについて学びたい人であれば、格好の1冊と言えるだろう。

第1章「大江戸の春夏秋冬」
ここでは行事と食について取り上げられているが、行事についてはいくつか取り上げられているためここでは「食」について取り上げる。江戸は大坂(現在の大阪)ほどではないものの食材は豊富であった、とりわけさんまは今の目黒でよく採れたと言われている。噺の演目に「目黒のさんま」があるほどなのがそれの証明になっているのだが。それのみならず「鰻丼」や「浅草海苔」についても言及している。この章の中で最も衝撃的だったのが「江戸時代、鮪は低級な魚」と位置づけられていたところである。今となっては大人気の鮪が、である。

第2章「江戸っ子の生活模様」
江戸っ子の生活環境とは一体何なのかというのが本章で説明されているが、あまりにも多岐にわたるため、1つないし2つ取り上げるだけにする。後半で天麩羅(てんぷら)というのが出てくるが、江戸時代ではてんぷらは屋台、しかも立ち食いで食べられるものであったという。そう言えば今では「立ち食いそば」というのがあるがそこでも「てんぷらそば」があったらそこからきているのではないのかと推測できる。
そしてもう一つは大食い。江戸時代にも大食い大会があった。本書では1815年で行われた「大食の会」が取り上げられている。

第3章「江戸っ子の教育と豊かな文化」
本書の副題にある「寺子屋」がある。「寺子屋」の教育体系についてはすでに当ブログでも取り上げているが、ここでは川柳から見た寺子屋の実像を考察している。たとえば、

「大不出来 清書も顔も 赤くなり」(p.123より)
「薄墨の 外へ気の散る 手習子」(p.128より)

川柳は江戸中期に流行したためにこう言った川柳が残っているという。俳句は五・七・五のほかに「季語」というものを含まなければいけない。そのため読まれるのが風流できれいなものが多い。川柳はというと「季語」の概念がないため社会風刺や滑稽モノまで何でもありである。

第4章「恋と情事と吉原と」
「※R-18指定」とかけたくなるが、江戸文化にこう言った文化が栄えていたということを考えると無粋ではあるが切っても切れないのがこれである。この頃からソープランドやラブホテルの概念が生まれたと言っても過言ではない。

第5章「将軍と鬼平」
まずは江戸の象徴とされる日本橋の由来から。日本橋は1604年に東海道の起点となったが、「日本橋」の由来は諸説あるが、日本橋が江戸の中央、今では東京の中心となっていると証明付けたものは江戸時代の書物ではっきりと明記されている。ここでは他に将軍の生活から、罪の量刑について書かれている。

「江戸人のしきたり」というタイトルであるが、「しきたり」というだけでも多岐にわたっている。中には「しきたり」とは言わないだろうというのもあり、江戸時代の雑学といった方がいいのではないかと私は思う。