愛する者の死とどう向き合うか―悲嘆の癒し

愛する者の死。
それはあなたを育ててくれた親族であったり、あなたの支えになってくれた伴侶・恋人であったり、あなたと共に頑張ってくれた友であったり…。
「愛する者」というのは「誰」と一概には語れない。
しかし人の「死」というのは必ずやってくる。
私は残念ながら人の「死」に直面したことはほとんどない。
しかしこれからやってくるだろう。

もしもあなたの目の前で、あまりに突然なことで、愛する人が死んだらあなたはどうなりますか?
悲しみますか?
茫然自失になりますか?
トラウマになりますか?

私は想像できません。
体験したことがないから。
しかし世界は広い。天変地異や戦禍に巻き込まれて親や愛する人をなくしてしまい、あれから心を閉ざした人、ちょっとしたことで発狂してしまうなど様々トラウマを抱えてしまった人もいる。

ではその人たちをどういやしたらいいのか、そしてその死の悲嘆をどう向き合うのかということについて本書は書かれている。

第1部では現状について書かれている。娘の自死のこと、息子の死、阪神淡路大震災における娘の死、それぞれが違えど子息の死というのは肉親よりも耐えがたいものだという。というのは肉親であれば自分が生きている間に死が訪れることは薄々予測している。しかし自分よりも年下であることが明らかである娘や息子が自分よりも先立たれた苦しみというのは、もっと人生があるのにという寂寥感と、傷が悲しみを強くしているのかもしれない。
第2部では悲嘆をどう向き合うかのことについてケーススタディとして紹介されている。
第3部は理論編。感情論を一切無視して哲学的に人の死とは何なのかということについて書かれている。

今回はちょっと簡単になってしまったが、人の「死」をどのようにして体系づけていくのかというのは哲学的に語るのは非常に難しく、わかりやすく語るのにはちょっと無理がある。というのは自分がその直面にしていなければわからないものを只々理論づけて述べるのは、できはするが、そこに感情は通っているのかというと通っていない。「死」を理論的につけるほど残酷的なものはない。本書を読んでそう考えてしまった。

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