本質を見抜く「考え方」

京都大学の教授であり、国際政治学者である中西輝政氏が政治学としての「考え方」を伝授した一冊である。本書のまえがきで、

「私たち学者は、常にこの(他人のゆがんだ視点などの支配)危険に身をさらしていると言えます。」

つまり他人の考えを鵜呑みにしてしまい、自分の思考が停止され、本来学者であるべきの考え方が破壊されてしまう恐れがあるのではないかというのである。これは学者に限らず、私のように書評を行うものにも言えることである。「書評家はあくまで中立性を求める」というのは自分自身嘘話だと思っているが、「自分自身の観点を持つことを失うこと」こそ思考停止、もしくは自分自身の文章を殺してしまうものはないと思う。そう言う意味では中西氏が言う「考え方」と私が見ている「考え方」と通底するものがある。

第1章「考え始める技術」
考え始める前に自分とは何か、そしてそれを取り巻く「敵」は何なのかということから始まるあたり、「孫子の兵法」によく似たものが出てきている。考え始めるので当然答えは出てこないので、場合によっては手探り、迷走状態になることが多い。ゲーテの言葉にある、

「自分自身の道を迷って歩いている子供や青年の方が、他人の道を間違いなく歩いている人々よりも好ましく思う」

とはこのことであろう。迷っている状態だからでこそ書いて言葉にしたりそのことから行動を押したり、間違ったって大丈夫というような気持ちを作りながら考えることが肝心になる。

第2章「考えを深める技術」
考えを深めることについて書かれているところ、ここでは「歴史」がネックになる。「歴史認識問題」もあるが考えを深めるには「歴史」を鑑みることが大事にあるという。こう見るとジャーナリストである櫻井よしこがよく「歴史力を磨け」というのが裏付けされる一つの論拠となる。

第3章「間違いを減らす技術」
間違いを減らすためにはまず「論理」のとらえ方にあるだろう。「論理」というのは今となっては重宝されるが、その原理については理解しなくてはいけない。本来「論理」というのは自然にできたものではなく、数学から出てきたものとされている。論理的に解明して正しいと得られていても、実際の場所では必ずしも正しいとは言えないというのが現状である。しかし「論理」は完全に否定しているわけではなく、答えの裏付け、検算という形での「論理」がいいという。「論理」と共に「効率」というのも重宝されてきたがこれに関しても疑わなくてはいけない。「効率化」というのは全体的な効率化というのは非常に難しく、一方で効率化を行うと、他方では非効率化になるというモグラたたきのような状態になる。端的にいうと効率化は全体にはできず、あるところで犠牲にしての効率化であれば納得がいく。

第4章「世の中を考える技術」
中国の故事に「人間万事塞翁が馬」というのがある。これは良いことも悪い事もあるというたとえとして使われる。さてどんなにうまくいく考え方があったとしても必ずしもうまくはいかない。
それだけではなく国単位での考え方について書かれており、国の文明や歴史、神話知り、そして日本の問題を自分自身の問題としてとらえてこそ、政治や経済の問題に初めて考えるというのが著者の見解である。

第5章「疑問を抱く技術」
誰しも疑問はある。その疑問を封じ込めていてはせっかく解決できるものも解決できなくなってしまう。さらに疑う対象としては正しい日本語、美しい言葉、論理的、結論ありき、という所にまで及んでいる。
特に私が言及したいのはここではなく著者が主張する「東京一極集中が最大の問題(p.185より)」というところである。
前にも何回か取り上げたが、日本において最たる問題なのがこの「一極集中」になっているところである。著者は実体験を元に、

「東京中のどこの場所へ行って、別のどんな人に会っても、たとえばお役所に行っても、新聞社に行っても、テレビ局に行っても、国会に行っても、見事に全く同じ言葉で聞くことがよくあります。(p.185より)」

私は昨年に神奈川に住むことになったが、引っ越しをするにあたりまず東京に住むということを拒んだ。なぜかというと一極集中でふんぞり返っている東京をみんなと一緒に住むのが嫌だったからだ。しかし別に東京自体は嫌いではない。下町風情や江戸情緒あふれる風景は大好きである。何よりも嫌いだったのは誰もがみんな「東京」ばかりに目が行くということ。特に死者を抱えている企業の多くは東京に本社を置いている。さらに就職でも多くは東京に移り住む。それが嫌だから神奈川に住んだというのが大きな理由である。

第6章「情報を考える技術」
情報をもって考えるには変化を見ることよりも何より変わらないものを見出すことから始まり、そして日本人である意識を持つことが大切であるという。

本書での「考える」は論理的ではなく、あくまで「考える精神」を身につける本である。「思考術」というような本がごまんとある中、本書の役割というのはそれを束ねるものと位置づけられる一冊であろう。